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大岡 昇平

おおおか しょうへい大岡 昇平

  • 明治42~昭和63(1909~1988)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:東京

作品名

ゴルフ旅行

概要

文士の間でゴルフが流行っている。ゴルフがひどくぜいたくな遊びだという偏見は、なかなか抜けないから、高い原稿料をむさぼって、身分不相応のゴルフなんかにうつつを抜かしているデモ文士ということにもなり、時々いや味をいわれることがある。
評論家の間には、ゴルフやらず同盟というものが出来ていて、大宅壮一が会長だという話である。
文芸春秋社の上林君が電話をかけて来て、
「相変らずゴルフですか。どうせ招待ゴルフでしょう。ゴルフもいいけど、あんまり招待、招待で、ただでゴルフさしてもろた上、賞品ばっかり持って帰るの、少しいやらしいですな」
だからスケジュールを一日省いて、座談会に出ろという。人を喰った話である。
ゴルフというものは、無論自分で金を払ってやるのが本式である。娘の貯金をおろしてもやる決意を固めている僕には、家中の金をさらって、コースへ出掛けてしまうのは、始終のことだ。招待ゴルフでもらう賞品なんか、たかの知れたもので、自前でやった方がどれだけ気持がいいか、わからない。
同じ心の石川達三、生沢朗、それから朝日の信夫韓一郎と四人、こないだ関西ゴルフ旅行に出かけた。石川だけが帰りに和歌山や京都に用をつくっていて、動機がやや不純であるが、あとの三人はまったくゴルフするだけのための旅行である。無論費用は自弁、信夫は朝日重役だが、社の車は一度しか使わなかった。
目的は広野コースの征服である。ゴルフなんて、ただ芝のあるところで球を打ってればいいんだろうなんて思ってる御仁がいるかもしれないが、何より自然と人間との諧調が第一である。ゴルフコースは人工が加わった自然だが、人間に出来るのは芝を植え、かり込むぐらいなもので、土地の起伏、林や草叢の配分はやたらに変えられるものではない。
そこの調和の取り方には工夫がいるので、日本にあるコースで最上のものは目下のところ、外国人アリスンの設計である。川奈と広野がその二つ。川奈は東京に近いので、始終行く機会があるが、広野となるとそうは行かない。だからここに四人行脚ということになった次第なのだ。
広野といっても、知らない人が多いだろう。兵庫県の明石市の北方三里、標高百五十メートルの山間の平原が、その所在地である。
「銀河」で寝て行った我々は、朝八時二十分神戸着。駅の食堂で朝飯をすませてから、湊川の神有鉄道の駅へ行ったが、電車はちょうど出たところ、タクシーで明石廻りの道を選ぶ。
明石市大久保町は戦争中は家族の疎開先で、二十年末復員したまま三年動けず、辛酸をなめた。須磨舞子の海面は、青松白砂よりは、満員電車の窓からながめてやり切れない思い出ばかりあるところで、どうもうまくない。
明石市を通り抜けたところの、元川崎航空機のそばの坂も、何度か歩いて上った記憶がある。ほとんど十年ぶりで、ゴルフ旅行が飛んだことになって来たと、首をちぢめていたが、車はそこで国道から右へ切れる。
平凡な丘陵の中を、だんだん上って行く。田舎にしてはいい道である。しかし、白い砂岩に小さな松、みんなよく知っている明石附近のお定りだ。
そのうち、一面の平原の中に、孤立した二つの丘が見えて来た。この形はよく知っている。百五十メートル高いこの辺から、比高百メートルぐらいの小丘だが、あたりに高いものはないから、遠くからでもよく見えるのである。
あとでクラブの支配人に聞いたら、大阪湾の内海航路の汽船は、この山で明石港の見当をつけるという。(山の名は忘れた)
昭和二十年秋、大久保には水害があって、田舎のくせに米がなかった。みんなこっちの山の中まで買いに来たものである。無論金はないから、洋服とか着物とかをリュックに入れて、物々交換にのんびり豊かに構えている百姓家を歴訪するのである。とぼとぼと埃っぽい田舎道を歩くぼくの眼に、この山は始終見えていた。
山麓の神出という村には、わが家の家主がいて、平身低頭、立退命令の撤回を懇願しに来たことがある。
広野コース征服はいいが、この山には参った。十時到着、直ちにコースへ飛び出したが、山が見えるホールへ来ると、たちまちチョロ。旅の疲れじゃなかった。ウオーター・ハザードはコースの中へ入り込んでいるこの辺の名物の沼地である。褐色の醜い岸を露出した風情のない人工の湖水だ。
ぼくは何度もこういう池の岸の松林で薪を盗伐し、子供達は汚い水で泳いだ。池の向うの、米のありそうな部落へ辿りつこうと、リュックを背に、長い堤を歩いたこともある。
わが打つ球は、ぽこんと不景気な音を立てて必ず池に飛び込んだ。
広野は僕の知るかぎり、日本一のコースである。距離もあり、球はちゃんと遠くへ飛ばさないと、いいスコアは取れない。しかしもとの疎開地で、ゴルフなんかやるものではない。
『大岡昇平全集 15』筑摩書房 599?601P

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