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大岡 昇平

おおおか しょうへい大岡 昇平

  • 明治42~昭和63(1909~1988)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:東京

作品名

関西ゴルフ旅行

概要

一週間のゴルフ旅行をすまして帰ったところである。日本のゴルフ発祥の地、六甲ゴルフ場をふり出しに、淡ノ輪、白浜、賢島、桑名と、紀伊半島を半周して、ゴルフをして廻った。
六甲を除いては、酷暑の地を選んで歩いてるような工合だが、旅行はもともと友人信夫韓一郎の朝日退社を祝う?ために計画されたもの。もっと早い予定だったが、延び延びになり、五月向きのプランを七月に実行する破目になってしまった。
同行石川達三、生沢朗。間に一日ぐらい雨があって休めるだろうという望みもあだで、炎天七月、パットをしようとするとボールの上にポタポタ汗が落ちて来るようなゴルフを続けて、四人共赤鬼みたいに焼けて帰着した。
六甲は僕にとって、殊になつかしい土地である。昭和十三年より五年間、僕は神戸の帝国酸素という会社に勤めていた。当時すでにゴルフをたしなんでいて、会社の兵庫工場長の山田さんが六甲のメンバーで、ゴルフ発祥地で一度クラブ振りたい願い切なるものがあったが、社用ゴルフの習慣がない当時では、月給取にゴルフをやるチャンスはなかった。
その願いが二十年後にやっとかなえられたのである。山上は二十年前とは見違えるように開発されている。舗装道路が縦横に走り、ホテル旅館も増え巨大な、車輪シート?を持つ遊園地の設備も出来ているのに一驚した。
当時ゴルフ場はたしか九ホールのままだったが、いまは十八ホールに改造されていた。大抵は三百足らずの短いホールで、パー六十、僕のようなヘボにも三十代が二つ出て、大いに気をよくした。
見下す神戸港には船も多く、岸には精油タンクが銀色に輝いて戦争中を上廻る繁栄に達している模様である。夜、六甲山ホテルの庭より見下す阪神の燈火のジュウタンは、昔通り美しかった。
あの頃、僕はやっと三十になったばかりだったが、中日戦争は泥沼であり、近づく太平洋戦争と応召の恐怖におびえていた。六月十五日以前の状態には、再びあの暗い時代に帰るのではないかという懸念があったが、幸いそれは避けられたようである。
五月十九日深夜以降、いらいら日の連続であった。一週間のゴルフ旅行は息抜きの意味がある。新聞を読まず、テレビを見ないですごすのは、実にいい気持である。自民党は五者会談、三者会談を繰り返すばかりで、空中分解寸前の形勢と見られた。新聞を読む必要は全くないのである。三十五年新聞記者生活を終った信夫も、新聞を読まないのはいい気持だそうだ。これからは一週間のうちゴルフ二日、釣三日、あと二日は本を読んで暮らすといっている。去年の暮、真鶴に急に新居を構えた時から、専務を近くやめるのは察していたが、あらゆるポストをしりぞけて、すっぱりやめてしまおうとは思わなかった。
大変いさぎよいことであり、信夫らしいやり方で、さっぱりしたとはいっているが、一抹の淋しさはおおい切れないようである。新聞記者は誇りのある職業であるが、誇りは新聞社という巨大な組織に支えられている。僕も神戸へ都落ちする前、二流紙に一年ぐらいいたことがあるが、その短かい経験でも、辞めてた当座、街に社旗を立てた車が走り去るのを見ると、腑を抜かれたような淋しさを覚えた経験がある。
信夫は僕らとの場合と違い、功成り名遂げて退くのであるから、事情は異るが、三十五年馬車馬のように走り続けた人間が、急に何もかもやめてしまうのでは、がっくりと前脚を折るのではないかと心配である。体でも悪くしやしないかという心配は、今日、この時口にすることはできないが、友人には深刻である。
「きみみたいな人間が、何もしないで、いられるもんか。そのうちなんか仕事を始めるにきまってるさ」「いや、絶対になにもしない」
「そんなことをいうのも今のうちさ」
「まず半年とは持つまいよ」「ゴルフと釣りのほかはなにもしない」「賭けてもいい。一年間何もしないでいられたら、一万円やろう」
「せめて、十万円といってくれないのか」
「十万円はおれの経済では痛い。中をとって五万円だ」
「よし。来年の六月三十日に五万円いただきだ。おまえから五万円取るためにも、どんな話があっても、ことわることにする」
「こっちは方々けしかけて、むりやりにどっかへ、押しこめて、五万円せしめることにする」
彼はゴルフは直ちに当り出す予定だったようだが、やっぱりそうは行かなかった。六甲、淡ノ輪は軽くいただき、白浜での四日目にいたって、やっと当りが出た。
桑名へ着くと、名古屋本社の旧部下が醵金してスポルディング一式を旅館へ届けてきた。連署の目録を出されて、大食いの信夫が天プラを食うのも忘れて、鼻をくんくんいわせている恰好は、正に鬼の眼にも涙で、観物であった。
おかしくもあれば、気の毒でもあり、こっちも表情をつくるのに困却した。

『大岡昇平全集 15』筑摩書房 651〜654P

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