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兵庫ゆかりの文学

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井伏 鱒二

いぶせ ますじ井伏 鱒二

  • 明治31~平成5(1898~1993)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:広島県福山市

作品名

赤穂にて

概要

赤穂の町を通りぬけ、観光案内書に書いてある御崎といふところの観光旅館に着いた。もう日が暮れて風が吹きつのり、戸をしめてあつても浪の音が聞えてゐた。海が近い。磯から逃げて来たと思はれるフナムシが床の間の壁を這ひまわり、掛軸の下にかくれたり現れたりする。近づいて行つて手を振りあげると、さつと逃げ去つてこちらの腕に籠つてゐる力を虚にさせる。妙な通力を持つてゐる虫である。私がげらげら笑つてゐると、女中が着換を持つて来て「お風呂、おめしになりませんですか。」と云つた。
着換をしてから土間のスリッパをはかうとすると、よく磯で見るシホマネキといふ赤い蟹が這つてゐた。こいつにも腕を振りあげてやると、蟹は太い方の鋏を振りあげて横這ひに逃げまはつた。素早く這ひまはるが、格子戸の外には逃げ出さない。
「この蟹のやつ、アクセッサリーのつもりだね。海浜ホテルの感じを強調させるつもりかね。」
女中にさう云ふと、
「まあアクセッサリーだなんて。」
と笑ひながら、スリッパを揃へなほした。
お湯からあがつて来るとビールを飲んだ。料理は、大体において適宜な間隔をもつて運ばれて来た。
――実は、今度の旅行で私は、宿屋の料理人に調理に関する話を聞いてまはらうと思つてゐた。この旅行記には「聞き歩き」といふ傍註を持たせ、岡山と伊部と赤穂と三つの町の料理人について談話筆記を取らうと企ててゐた。それが岡山の宿でも伊部の宿でも、忘れてゐたのではないが、そのときの成りゆきで駄目になつた。――せめて赤穂では夕食の献立だけでも聞いておくことにしたいと思つたので、女中に頼んで料理人自筆の献立表を書いてもらつた。
次のやうなものである。但、用紙はザラ紙、鉛筆書。その文字の通り、充字もコンマも原文のままに写してみる。
御献立
一、突出し、  (かし○ 月見団子 甲南漬 シャケクンセイ
一、吸物、   (赤魚 芽ねぎ 口 袖子
一、刺身、   (おこわ チヌ鯛平造り 烏賊糸作 青じそ 紅たで わさび
一、焚合、   (京芋 巻鱧 きんど豆
一、焼肴、  (チヌ若狭焼 栗シブ皮煮 じか
一、茶碗むし、 (三ツバ 松茸 銀杏 かし○ 百合根 穴子
一、酢肴、   (胡瓜 女が たこ
一、菓物、    マスカット 二十世紀   以上八種
字が読みにくいので女中に読んでみてもらつた。「かし○」は「かしわ」「女が」は「めうが」である。「焼肴」といふ部分に、「栗シブ皮煮」と書いてあるが、実際のその料理の皿には栗の渋皮煮は附いてゐなかつた。
「さつき、焼肴の皿に、栗の渋皮煮は無かつたぢやないか。」女中にさう云ふと、
「ほんと、さうでしたね。」
と、あつさり頷いて見せた。
「料理のほかに、献立表を注文する客は、たまにはゐるだらうね。」とたづねると、「そんなことするお客さん、ございませんですね。」と云つた。
「僕は、献立表を蒐集するのが趣味なんでね。ごく最近からの趣味なんだ。」私はさう云つておいた。
翌朝、雨は幾らかまだ降つてゐたが、颱風は関西地方を反れたことがわかつた。庭先の石崖の下の道を、バスや自動車が通り、その道の下の大きな岩礁に浪が物々しく打ちつけてゐる。それに似たやうな風景は、いつか誰だつたか、絵葉書の風景だと云つたことがある。また或る一人の世帯じみた女性は、こんなやうな風景を見て、「あの磯打つ浪と、房州の犬吠岬に寄せる浪、どちらが大きいんでせう。」と、息をはづませて私にたづねたことがある。私が或る先輩の釣師にその話をすると、「さうか、のろけぢやねえだらうな。しかし、その二人とも、浪を見て無関心ぢやゐられねえんだな。おめえ、さういふときにはな、三四日前に颱風がサイパン島あたりを吹きまくつたから、あの大浪は、その余波だと云ふことだな。すこぶる、科学的に受答へをしとくに限る。相手は素人だからな。ましてや女の場合はな。」と大きなことを云ふのであつた。その釣師は佐藤垢石である。

『兵庫県文学読本 近代篇』のじぎく文庫 239?242P

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