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井伏 鱒二

いぶせ ますじ井伏 鱒二

  • 明治31~平成5(1898~1993)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:広島県福山市

作品名

釣師・釣場

概要

淡路島

淡路島にはタヒ釣の上手なヒデさんといふ漁師がゐる。かねがねその噂は人の話で聞いてゐた。一本釣の漁師だが、由良の魚市場へ水揚げするタヒの量から云つて、ヒデさんはいつも他の漁師たちから群を抜いてゐる。さういふ噂を聞いてみゐた。いつか神戸新聞にも、タヒ釣ではヒデさんが関西随一の漁師だと書いてあつた。今度はその漁師に会ひたいと思つて淡路島へ行くことにした。「釣師・釣場」の取材旅行における最終回にあたり、淡路島へ行くといふのも何となくをさまりがつきさうな気持であつた。
今度も私と同行した丸山君は、前もつて洲本市の中村徳松さんといふ人に、淡路島でタヒ釣の一ばん上手な釣師を紹介してもらひたいといふ手紙を出した。折返し承諾の返事が来たので二人で淡路島の洲本市へ出かけて行つた。ところが、折から徳松さんが市議会に出席してゐたので市役所へ訪ねると、徳松さんはそこに来あはせてゐた老人と中年の人を私たちに紹介した。中年の人は井宮儀三郎さんといつて洲本市の市会議長だが、タヒ釣が好きでたまらない人ではないかと思はれた。あながち上の空でもなささうに、
「どうか、どつさり淡路のタヒを釣つて下さい。」
と私を励ました。
老人の方は野口愛次郎さんといつて、明治八年生れださうだが矍鑠たるものである。タヒ釣のことやタヒの料理の仕方などについて豊富な知識を持つてゐた。
「タヒは、他の魚もさうだが、器量のよいやつでなくては食べて味が悪い。それから、水から揚げるとき、一と思ひに殺さなくては味が落ちる。生きたタヒでも、俎の上で三べん跳ねたら味が落ちるのです。よい板前なら、タヒの切身を見て、これは俎の上で跳ねたタヒの切身だといふことがわかります。」
愛次郎翁はさう云つた。
タヒの容貌は鼻のあたりを見れば見分けがつくのださうである。鼻先がすんなりとしてゐるのを美貌とする。その反対に、おでこのところが角立つてゐるやうに見えるのは不器量だとする。だから結婚のお祝のときなどに、おでこのでつぱつてゐるタヒを進物にすると、淡路島の人は喜んでくれないのださうだ。
愛次郎翁は淡路島における水産業や漁場などの開発発展に尽して来た人ださうである。私はこの老人の話を聞きながら、ふと思つたことに、もし自分が高田屋嘉兵衛を小説に書くならこの老人の風貌を取入れたいと思つた。物に動じない感じの、じつくりとした人物である。ガローニンの「日本幽囚実記」に説明されてゐる嘉兵衛の風貌を偲ばせる。しかし、これは嘉兵衛が淡路島の出身で、水産、漁法、漁場などの発展開発に尽したから、聯想がそこへ行つたやうにも思はれる。この島の東海岸には嘉兵衛の自費で造つた築港が残つてゐる。当時、その土地の人たちは、嘉兵衛が港を独占するつもりだと云つて初めのうちは心配したさうだ。今では嘉兵衛の彰徳碑が道ばたに建つてゐる。
私たちは紅茶を御馳走されて市役所を出た。徳松さんは会議中で手が放せなかつたので、代りに三住国彦さんといふ釣好きの人を私たちの案内役にしてくれた。ところが、国彦さんが私たちを由良の港に連れて行き、私たちに紹介してくれた漁師といふのが、噂に聞いてゐたヒデさんであつた。
「この人は、私の知つてゐる限りではタヒ釣の一ばん上手な漁師です」と国彦さんが云つた。「海の底の網代を手に取るやうに知つてゐます。今日、ヒデさんは沖へ釣に行つて、さつき帰つて来たさうです。」
「大漁でしたか」と私が聞くと、
「三十五尾」とヒデさんが云つた。
(後略)

『井伏鱒二全集 第二十一巻』筑摩書房 119?120P

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