常設展示

兵庫ゆかりの文学

  1. TOP
  2. 常設展示
  3. 兵庫ゆかりの作家
  4. 兵庫ゆかりの文学
  5. ハトとAさん

井上 靖

いのうえ やすし井上 靖

  • 明治40~平成3(1907~1991)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:北海道

作品名

ハトとAさん

概要

戦争の末期に、私は赤穂の塩田視察に行く蔵相に会って記事を取るために、ハト係りのAさんと、カメラのK君と一緒に、疎開者でごった返している満員列車に乗った。蔵相の一行より一列車早い列車で赤穂へ行き、そこで待機しているためであった。私はその時初めてAさんと口をきいた。新聞社のビルの屋上のハト小屋で、ハトの世話をしているAさんの姿をよく見掛けたが、口をきいたのは、この時が初めてだった。背は低く、風さいは上がらぬほうであったが、見るからに素朴なものを身につけた善良な人柄であった。
ふだんでもなりふり構わぬところがあったが、その時は戦争の最も烈しい時で、ハトを入れてフロ敷で包んだ籠を大切そうに抱えて、多勢の乗客の間にはさまっているAさんの姿は異様であった。
新聞記者でも、カメラマンでもなく、やはりハト係りのAさんというよりほかはなかった。



途中で空襲警報が二回出たりして、私たちは朝早く大阪を出たが、赤穂についたのは午後三時過ぎだった。夕方、蔵相の一行も遅れてやって来た。塩田の真ん中で私は蔵相に会った。
「――適当に書いて下さい」
蔵相は言った。蔵相としても全く形式的な塩田視察であり、塩の増産どころではない時期であった。
私は一人の女中もいない旅館へはいって、そこの縁側で短い記事を書いた。いまは何を書いたか覚えていないが、とに角短い記事を書いた。そしてそれを薄いパラフィン紙に小さい字で二様に写してそれをAさんに渡した。Aさんはそれを、それぞれ小さい筒に詰め、ハトの背にくくりつけた。



私とカメラのK君は部屋へはいって弁当を食べた。いつまで経っても、Aさんが姿を見せないので、私はAさんを見に縁側へ出て行った。Aさんは庭で空を見て立っていた。
どうしたのかと、私がたずねると、Aさんはハトの一羽は間違いなく大阪の方へ飛んで行ったが、もう一羽はこの上の空を、先刻からぐるぐる回っている、と言った。
そしてAさんは、私が声をかけたことであきらめたのか、首を空に向けたまま、私の方へ歩いて来た。
Aさんは縁側に腰かけても、首を上に向けていた。そして両手を首のところへ持って行き、少しずつ首をもとに戻すようにした。余り長くハトの行方を追って、空を見上げていたので、Aさんの首はなかなかもとに戻らなかったのである。私は、私の書いたたいして価値もない短い記事を小さい体につけて、空襲下の空に飛び立って行ったハトにも、そしてまたそのハトの行方を首の曲らなくなるほど案じていたAさんにも、何か大変申訳ないような気がした。
私はこの時のAさんのことを「断崖」という短編のなかに書いている。いま考えても、戦争末期の新聞社の生活の中で、このハト係りのAさんのことが、一番鮮やかな印象で残っている。

(昭和三十四年十月)

『井上靖全集 第二十三巻』新潮社 300、301P

井上 靖の紹介ページに戻る

ページの先頭へ