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井上 靖

いのうえ やすし井上 靖

  • 明治40~平成3(1907~1991)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:北海道

作品名

佐治与九郎覚書

概要

(前略)
与九郎が城を失ってから三年目の文禄元年の春に、世に丹波少将と称ばれていた羽柴秀勝と小督との婚儀が発表された。秀勝は信長の第四子で、秀吉の養子であったので、この婚儀の噂は巷間に賑やかに流布された。秀勝は二十六歳で、小督は二十歳であった。
世間ではこの一時期、佐治与九郎のことを思い出したが、与九郎が信包の庇護のもとに生きているということを知っている者は極く一部の者だけであった。多くの者は誰が言い出したものか判らなかったが、大野城没落と共に与九郎が自刃して相果てたという噂を信じていた。
こうしたことがあってから間もなく、この年の秋に織田信包は伊勢の安濃津城から丹波の柏原城へと移封を命じられた。この信包と一緒に、与九郎一成も亦柏原へ移って行った。柏原へ移ると、与九郎は剃髪することを信包に申し出た。信包は一応与九郎の決心を翻させようとしたが、
「拙者は大野城を失った時、自刃すべきであったが、多少思うところあって今日まで生き延びて来ました。いまはその思うところも齟齬し、いつ相果てても惜しくない生命であります。併し、いま自刃したら、御迷惑がこのお家へ及ぶと思いますので、このまま生きて参りましょう。剃髪の儀だけはお聞き届け戴きたい」
与九郎は言った。
それから数日してから、与九郎は髪を落し、名を巨哉と改めた。この時与九郎は二十八歳であった。
与九郎が大野城を奪われた時、自刃しなかったのは、小督にもう一度会えるかも知れないという気持があったからである。小督に対して恋々たる情を持っていたというより、小督の身の上が案じられ、もう一度会わないことには安心して死んで行けない気持であった。与九郎にそうしたことを思わせるものを小督は持っていたのである。それが、小督と秀勝の婚儀という思いがけない事件で終止符を打たれ、与九郎は自分が恥を忍んでなんのために生きていたのか判らなくなったのであった。
剃髪して巨哉になってからの与九郎は、人を避けることと、誰とも言葉を交さないことは前と同じであったが、その表情は見違えるほど穏やかになった。
それから二年してもう一度佐治与九郎のことが世間の話題になったことがあった。それは小督の夫である秀勝が朝鮮に出征し、朝鮮で陣歿したことが発表された時で、文禄三年の春のことであった。この時は与九郎の恨みがついに秀勝を死に追いやったというような蔭口がきかれ、小督の二度目の結婚が持った不幸は、当然約束されていたことのように噂された。小督は秀勝との間に一女を儲けていた。
小督が秀吉の養女となって、家康の長子である秀忠と伏見城に於て婚礼の式を挙げたのは、その翌年の文禄四年の九月のことである。小督は二十三歳、秀忠は十七歳であった。この時は婚儀の盛大さがやかましく噂され、その派手な噂の蔭に匿れて、もはや佐治与九郎のことを思い出す者はなかった。与九郎の名は口に出されても、これはもはやこの世に居ない人間としてであった。与九郎は誰からも故人として取り扱われていたし、実際にまたそう思われていた。
丹波の小さい城下町に、彼が納衣を纏って生きていようとは、誰も想像だにしないことであった。
与九郎に嫁ぎ、秀勝に嫁ぎ、それぞれ不幸というべき結婚をしながら、次第に女としてのより大きい幸運を掴(原本はてへんに国の旧字体(口の中に或))んで行く小督が、人々には異様な眩しさで見えた。
小督が、秀忠との間に一子を挙げたのは慶長九年七月のことである。秀吉薨じて六年経っており、家康は将軍職にあった。いつか時代はすっかり変っていた。この時も亦小督のことが巷間で噂された。
小督という女が、次々に夫を替えて、次々に違った胤の子供を産んで行くことが、多少揶揄的に取沙汰されたのであった。
併し、小督は今や将軍家康の嫡子秀忠の正室であり、江戸西城に於けるこんどの出産は大きい祝福を持って迎えられた。家康も悦んだし、諸国の武将たちからの賀使も毎日のように詰めかけた。

この小督の出産の噂は、江戸から遠く離れている丹波地方にはひと月ほど遅れて伝わった。
その日、巨哉こと佐治与九郎は所用あって柏原在へ出掛けて行ったが、柏原の城下の外れで、いずれも旅装束の十数名の騎馬の一団と出会った。
通行人たちは、その一団のために道を開いた。道はぬかるんでいた。与九郎は泥の飛沫をうけて、多少小癪に障る思いで路傍に立っていた。その時、与九郎の耳に、やはり傍に路をよけて立っている男の声がはいって来た。それによって、与九郎はいま自分の眼の前を過ぎて行く一団が、秀忠の室の男子出生を祝うために、この城からはるばる江戸へ出掛けて行く賀使の一行であることを知らされた。
与九郎はふらふらとその場に腰を下ろした。坐ってしまった時、自分でもどうしてそんなところへ坐り込んでしまったものか、はっきり判らなかった。
与九郎は大勢の通行人が怪訝そうに見返って行くのも構わず、虚ろな眼でそこに坐り込んでいた。その眼には、十五年前の自分の妻である小督の、あまり美貌とは言えない、併し人を疑うことを知らないおおどかな顔が与九郎だけに見えていた。
与九郎にはもはや愛憎の観念はなかった。ただ、現在の秀忠の室である小督が、やはり昔のように自分に与えられている境遇に、たいして悦びもなく悲しみも感じずに坐っているのではないかという気がした。
そしてそんな彼女に、幸運というものが、今までもそうであったように、これからも、ゆっくりと着実な足取りでやって来るのではないかと思われた。
(後略)


『井上靖全集 第五巻』新潮社 367?369P


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