やまぐち せいし山口 誓子
- 明治34~平成6(1901~1994)
- ジャンル: 俳人
- 出身:京都市上京区
作品名
明石
概要
省線明石駅の陸橋を渡つてゐる時、真白な城の櫓が松や桜の上に見えます。
城の大手から入つて近づきますと、正面の石垣は屏風のやうに突つ立ち、その裾に、亭々たる松が並んでゐます。城址に登れば桜の梢が近々と瞰下され、すこしほころびかけてゐるのがわかりました。
眼前には、淡路島が在るばかりです。源氏の君は須磨から明石の海浜に移つて、「ただ目の前に見やらるるは、淡路島なり」と書きましたが、私も眼前には、淡路島が在るばかりだと云ふ外はありません。よく見てゐるうちに、禿山が見え、白い燈台が見え、山の上に奥の山が見え、岬の先に更に向ふの岬が幾つも見えます。
柿本神社は城から東へ四町余、人丸山の上にあります。ここも桜には少し早いのですが、そこに詣でて、門を出ますと、明石海峡はしづかに凪ぎわたり、折柄そこを通過する船の汽笛が聞えます。
その汽笛を聞きますと、私はこの海峡を通過して筑紫や讃岐へ往復した人麿を想ひ起さずにはゐられませんでした。人磨の羇旅の歌で、明石海峡を詠つたのが二首ありますが、
ともしびの明石大門に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず
は往きの歌で、自分の船が西に進んで明石海峡に入る日には、愈々家郷の大和の山々とも別れ、それが見えずなる日であるといふ意味です。又
天さかるひなの長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
は還りの歌で、遠い筑紫から遙々、家郷を恋ひながら上つて来ると、明石の海峡から、大和の山々が見えるといふ意味です。
私はこれ等の歌の強い実感の中に身を置きました。
同じ歌詠みの西行法師が、仁安二年西国へ修業に参りました時、この明石に数日滞留したことがあります。その時の作か或はすこし前の、仁平二年又は三年頃の作か、よくわかりませんが、かういふ歌があります。
淡路島瀬戸の汐ひの夕暮に須磨よりかよふ千鳥鳴くなり
それから
淡路島迫門のなごろは高くともこの汐わだにおしわたらばや
後の歌は万葉の
粟島に漕ぎ渡らむと思へども明石の門浪いまだ騒げり
と、相通ずる歌と思ひます。
私はしばらくの間、我を忘れて其処に佇んでをりましたが、やがて山を下りて、海岸に向ひました。それは私が香川景樹の
明石潟松のこかげに道はあれど磯づたひして若布ひろはむ
という歌に強く心を牽かれてゐたからです。
天には鳶が鳴きめぐつて実に麗かな一日でした。
『兵庫県文学読本 近代篇』のじぎく文庫 285?288P