常設展示

兵庫ゆかりの文学

  1. TOP
  2. 常設展示
  3. 兵庫ゆかりの作家
  4. 兵庫ゆかりの文学
  5. 播州平野

みやもと ゆりこ宮本 百合子

  • 明治32~昭和26(1899~1951)
  • ジャンル: 小説家・評論家
  • 出身:東京市小石川区

作品名

播州平野

刊行年

1947

版元

河出書房

概要

馬は首をたれ、折々尻尾で蝿を追ひのんきな運びで進んだ。徒歩でゆく馬子に、それをせかせる気もちもない。ゆつくり六時までには明石につける。人々は、すつかり其で安堵してゐるのであつた。
姫路を出てから、一日ぢうトラツクをよぢのぼり、這ひ下り、荷車にすがつていそいで歩いたひろ子は子供のやうに疲れた両脚をぶら下げて、荷馬車にゆられて行つた。
国道の両側に、すき透るやうな秋日に照らされてのびやかな播州平野がひろがつてゐた。遠く西に六甲あたりかと思はれる山並が浮んでゐる。空に軽い白雲が綺麗に漂つてゐて、荷馬車にゆられ乍らそれを眺めてゐるひろ子の心をしづめた。
かういふ秋の午後、思ひもかけない播州平野の国道を、荷馬車にのつて、かたり、ことりと東へ向つて道中する。重吉に向つて、進んでゆく。ひろ子には、その時代おくれののろささへ快適に感じられた。ひろ子が住みなれてゐる関東平野、東北本線で見なれてゐる那須野あたりの原野とちがつて、播州の平野には、独特の抑揚があつた。一面耕されてゐるし、耕されてゐる畑土は柔かく軽さうで、それは遠望する阪神の山々の巓が、高く鋭いのにかかはらず、どこか軽々と夕空に聳えてゐる。その風光と調和してゐる。
ところどころにキラリと閃く浅い湖のやうな水面もある。
その荷馬車に荷物だけのせて、自分たちは国道を歩いて来る二人の若者があつた。背広の上衣をぬいで腕にかけ、なれて来たら、口笛をふきながら歩いてゐる。
二人とも、歯の美しい若者同志である。ちよいちよい冗談を云ひ合つて笑ふ。彼等の言葉は朝鮮の言葉であつた。ひろ子が、この旅の往き来で見かけた朝鮮人たちは、すべて西へ西へ、海峡へ海峡へ、と動いてゐた。だが、この若者たちは、東へ向つてゐる。
若者たちにはうれしいことが行手に待つてゐるらしく、殆どはしやぐ仔犬のやうにふざけたりかけつこのやうなことをしたりして、あひだには歌をうたひ、しかし車からは離れずついて来る。
微風に梳かれる秋陽は、播州の山々と、畑、小さい町とそこの樹木を金色にとかし、荷馬車はかたり、ことりと一筋の国道の上を、目的地に向つて、動いてゆく。かた、ことと鳴る轍の音は不思議に若者たちの陽気さと調和した。そしてひろ子の心に充ち溢れる様々の思ひに節を合はせた。この国道を、かうして運ばれることは、一生のうちに、もう二度とはないことであらう。今すぎてゆく小さな町の生垣。明石の松林の彼方に赤錆に立つてゐる大工場の廃墟。それらをひろ子は消されない感銘をもつて眺めた。日本ぢうが、かうして動きつつある。ひろ子は痛切にそのことを感じるのであつた。

『兵庫県文学読本 近代篇』のじぎく文庫 278?280P

宮本 百合子の紹介ページに戻る

ページの先頭へ