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兵庫ゆかりの文学

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井上 靖

いのうえ やすし井上 靖

  • 明治40~平成3(1907~1991)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:北海道

作品名

明るい海

概要

大正十四、五年頃の話だからずいぶん昔のことになる。私は小学校の四年の時の夏休みを二週間程割いて、歯の治療をするために神戸へ行って過したことがあった。その頃、私は駿河湾に面した人口二万程の、それでもれっきとした市制の布かれた街に住んでいて、街には歯科医も何軒かあった筈で、何もわざわざ遠い神戸まで出掛けて行く理由は少しもないわけであったが、その時はどういうものかそういうことになったのであった。尤も、こうしたことになるに到ったのには尚さんと呼ばれる人物が一役も二役も買っていることは明らかであった。
尚さんは私たちと同じ郷里の出で、田舎の商業学校を卒えると、すぐ大阪へ出て、幾つかの商売を転々とした挙句、その頃は神戸で貿易関係の仕事に手を染めて羽ぶりよくやっている四十歳ぐらいの人物であった。私の家とは血縁関係にはなかったが、どういうものか親戚付合をしており、年に一回か二回は必ず上京の途中尚さんは私の家に立寄っていた。父も母も尚さんが来ると歓待した。尚さんが見えると家が明るくなるとか、尚さんが来ると福の神が一緒にやって来るようだとか、そんなことを祖母までが言った。尚さんの容貌風采は子供の私の眼にも明るく賑やかに見えた。ひどく気前がよく姿を見せる時には必ず、祖母の言い方を以てすれば豪勢な手土産を持って来ていた。父は多少尚さんという人物に批判的で、尚さんが帰ったあとなどは、大きなことばかり言っているとか、どこまで本当か判ったもんじゃないとか言っていたが、しかし、尚さんの居る間は、尚さんの身に着けている屈託のない賑やかな雰囲気に惹き入れられ、結構楽しそうに応対し、尚さんに厭な顔を見せるようなことはなかった。
尚さんは家へ来ると夏などは浴衣の前をはだけて坐った。普通の大きさの浴衣では肥った尚さんの体を覆い包むことのできないことも事実だったが、そればかりではなく、尚さんは浴衣からはみ出している男にしては色白の肌理のこまかい自分の肌の一部を人に見せることが自慢の風でもあった。ビールなど飲みながら尚さんはよくはだけている自分の胸を自分の手で叩いた。いい音がして、叩いたあとの肌にはうっすらと赤味が差した。
尚さんは話術に巧みだった。母に言わせるとなかなかの男前だという。しかし、私にはいつもにこにこしているだけにしか見えないその色白の顔を、すこし真顔に装って大きな声を出して独特の断定的な言い方で話すと、尚さんの言うことは誰にもみんな本当に聞えた。
ああんしてごらん。尚さんに言われて、私は彼の前で口を大きく開けたことがある。その頃私の歯は殆ど一本残らず虫歯になっていて、私は歯痛のために月のうち三日や四日はいつも辛い厭な日を過さなければならなかった。しかし、父も母もそのことを気にしていなかった。いまにみんな虫歯が抜けて新しい歯が生え代ると信じていたし、実際にそうなるのを待っているところがあった。私は毎月のように何日かは頬を膨らし、クレオソート臭い唾液を飲みながら学校へ通っていた。
尚さんの前で口を大きく開けたあと、私はすぐその席を離れたので、尚さんと両親の間にいかなる会話が交されたか知らなかったが、そんなことがあってから、いつとはなしに両親の間では、私が歯の治療のために神戸に行くことが恰も既定事実のように決定したものとして話されていた。尚さんが虫歯を放っておくと大変なことになるとか、歯の治療をするなら神戸以外にはろくな歯科医はいないとか、神戸へ寄越せば万事自分がうまく取り計ってやるとか、そんなことを言ったであろうということは私にも充分想像できた。私は歯の治療は厭だったが、汽車に乗ることと、神戸という大きな港のある街で何日かを過すことはやはりちょっと他にかけ替えのないほどの魅力であった。
私は夏休みの前の何日かを歯痛で悩んだが、痛さに耐える思いは多少それまでとは違ったものであった。私は汽車の一人旅の不安を想像したり、港湾に浮かんでいる大きな外国汽船を眼に描いたりしながら、人差指で痛む奥歯を頬の上から押えていた。痛みには極く僅かながら、音楽の音のような華やかと言えば言えぬことはない、期待に似たものが感じられた。

尚さんは神戸の山手の四階建ての中級ホテルの最上階の角部屋とその隣室を二部屋自分のものとしていた。駅まで出迎えに出ていた尚さんに初めてタクシーに乗せられ、そのホテルの前で降り、エレベーターでその部屋に運ばれて行った時、私はなるほど尚さんの生活は素晴らしいと思った。後年考えれば、寝台と、洋服箪笥と、応接用の籐の卓と椅子のセットなどが、それもさして上等でないものが狭い部屋に並べられてあっただけのことであったが、その時の私にはそれが充分豪華に見えた。
「こっちには小母さんが居る。坊はこの部屋に寝るんだ」
尚さんは一応教えておくと言った風に私を隣室へ連れて行った。
その隣りの部屋にはなる程小母さんなる女性が居た。小母さんなる人の存在は、それまで私がそうした人の居ることを夢にも考えていなかったので、子供心に戸惑いと迷惑を感じた。尚さんは三、四年前に、私の家にも一、二度連れて来たことのある妻を亡くしてから、あとはずっと独身でいることになっていた。父や母なども尚さんの後妻になる人をあれこれ物色したり、そうした人を尚さんと会わせてみたりしたこともあって、そんなことから小母さんなる女性の存在は私には全く意外なことであった。何となく気心の判らない邪魔ものが一人いる感じで、こんな人が居るより居ない方がどんなにかいいだろうと思った。尚さんがその女性のことを小母さんと呼んだので、私もまたその女性を尚さんの言い方に倣って小母さんと呼ぶことにした。しかし、小母さんと言っても、まだ母よりずっと若い三十歳前後のおとなしそうな女性で、どことなく体でも悪いのか、口のきき方にも、動作にも、大儀そうな緩慢なところが目立っていた。
(後略)

『井上靖全集 第六巻』新潮社407?409P

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