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井上 靖

いのうえ やすし井上 靖

  • 明治40~平成3(1907~1991)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:北海道

作品名

三ノ宮炎上

概要

その頃、わたしは三ノ宮ではいい顔だった。三ノ宮のオミツと言えば、阪神間ならどこへ行っても大きい顔で通れたものである。
わたしが、三ノ宮の不良の仲間入りしたのは、女学校の卒業の前年十八年の夏だったから、それから終戦までまる二年間を、わたしは三ノ宮でしたい放題のことをして遊び呆けたわけである。その間、六軒町に一カ月、住吉に二カ月ちょっとというように、一時的にはよそに塒を移したこともあったが、まあ不良時代の殆ど全部を、わたしは三ノ宮で過したと言っていい。
あの頃の三ノ宮は、ほんとうに楽しかった。「蘭」「くれない」「三ノ宮茶房」といった喫茶店の扉を開けると、必らず、仲間の誰かがいた。貞子、オシナ、ジャンバ、清子、マサチャン、オリョウ、チャナ、カオル、そんな連中が煙草を喫みながら、わいわい言ってとぐろを巻いていた。男の不良の溜りは違っていたが、それでも、秋野の兄さん、服部勇、大パテ、小パテ、小虎、バッチ、ジャック、そうした顔のどれかはすぐ見受けられた。

あの頃の不良たちは、人のいい連中の集りだった。男の不良たちのなかには、強請や恐喝をやっていた者もあったが、しかし大きな事は殆どしていなかったのではないかと思う。戦争中で国全体が上から下までいやにちゃっかり組み立てられてあって、あんまり大きな事はできなかったようである。
女の不良たちは、男の連中がなんとなく掴(原本はてへんに国の旧字体(口の中に或))ませてくれる小遣いでさして不自由はしていなかった。それに金があっても、時節柄たいして買うものもなかったので、誰も金にはあまり執着はなかったようである。金以外の何か他のものにわたしたちは惹かれていたのだ。わたしたちをうっとりさせ、惹き付けて放さない何か他のものが、あの頃の三ノ宮には、三ノ宮のわたしたちの生活には残っていたのだ。ほんとうにわたしたちはたいして悪いことはしていなかった。他場の不良で大きな顔をして三ノ宮をほっついていた連中とか、よほど、癇にさわる女でも歩いていると、喧嘩を吹っかけて行ったが、そうでもないかぎり手荒なことはしなかった。
家出をして三ノ宮界隈にとぐろを巻いていること、何もしないで集団をなして一日遊び呆けていること、賭場へ顔を出すこと、入墨をしていること、時々不良狩でブタ箱へ叩き込まれること、男の不良たちと友だちになっていること、そんな点が、他の女の子と違うだけの話で、実のところたいしたことはしていなかったのである。
いま思い出すと、三ノ宮の二年間の生活は、賑やかな海水浴場のようにいつも雑然としていたが、舗道も店舗も通行人も、風も空気もみんな妙にきらきらして、快い眩暈の波がわたしたちを四六時中襲っていた。絶えず音楽が聞こえ、絶えず光の細片がちかちかと、あたりに舞っていた。眩しいほどの明るさ。わたしたちはほんとうに水着を着た海辺の女の子のように、寝そべったり、駈け出したり、きゃっきゃっ騒いだりして、野放図もない開けっ放しの自由の中に、戯れることがただ一つの生き甲斐のように戯れていたのだ。ちょうど国中が戦争戦争で陰気にじめじめして息苦しい最中だったので、わたしたちはあそこに集まって、いやなことはいっさい御免蒙って、やりたいことをやり、したいことをしていたのだ。
と言っても、何もわたしは遊び廻ってばかりいたわけではない。わたしは「蘭」や「くれない」で小説本を読んでいたことが多かった。マサチャンが古本屋をしている親父さんのところから掻っ払って来てくれる岩波文庫の漱石なんかを読んでいたのだから感心なものである。女学校で小説を読むことも禁じられていたので、三ノ宮へ行ってから、誰に遠慮も気兼ねもなく、恋愛小説を片っぱしから読み漁ったものである。世界文学全集の『女の一生』『ナナ』なんてとても面白かった。
「あんまり勉強せんとき、気違いになるで」
そんなことをよく貞子などから言われたが、ほかの女の子は全然本なんか手にしなかったので、わたしは勉強家としていくらか尊敬されていた。
しかし、腕っぷしも度胸もわたしが一番あったし、喧嘩もわたしが一番上手だった。
「やっぱり喧嘩も頭やな。貞子もチャナも字でも読めば、もうちっとはましになるやろに」
と、よくカオルが言った。カオルは孤児の三ノ宮の新聞売子上がりで、自分も新聞売子をしていた時、新聞の小説などをよく読んだので他の連中より教養があるということを、いつもわたしに言いたいふうだった。
しかし、そういうカオルが字は一番知らなかった。流行歌を写すとき驚いたのだが、カオルは全部、カナ書きで、それも、ヒラガナとカタカナをちゃんぽんにしていた。夜嵐のカオルと言えば、三ノ宮ではわたしに次いでいい顔だったが、十九の女の子とは思われぬ下手糞の金釘流の字だった。顔が不思議に品があって啖呵を切る時など思い詰めた目がちかちか光って凄いくらい美しかったので、そんなことでカオルは一割も二割も得をしていた。
それよりカオルが軽蔑しているチャナなどの方が、ずっと字も知っていたし、字もうまかった。チャナは本名田越トシエというのだが、チャイナタンゴがうまいので、チャナ、チャナと呼ばれていた。おそろしく向う見ずで、十三の時から不良仲間に身を投じているので、さすがに凄むときなど貫禄というものが身に着いている感じだったが、男にだらしないところがあって、誰彼の見境なく、チンピラを次々に情夫にしていたので、いざと言うとき仲間に押しがきかなくなり、夜嵐のカオルなどに結局は押さえられていたのである。

(後略)

『井上靖全集 第二巻』新潮社 565?567P


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