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兵庫ゆかりの文学

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井上 靖

いのうえ やすし井上 靖

  • 明治40~平成3(1907~1991)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:北海道

作品名

日記から

概要

大阪に最初の空襲があったのは昭和二十年三月十三日の夜であった。九時に警報が出て翌朝四時に警報が解除になるまでに、B29機は二機三機ずつ各方面から大阪へはいり市街の大半を灰にした。
当時茨木に住んでいた私は警報解除と同時に最初の省線で新聞社に向ったが、その電車には職場へ急ぐ防空要員たちがほぼ座席を充たす程度に詰っていた。その中に狂人が一人乗っていて、米英打倒の大演説をやり、身振り大きくそこらを動き廻り、果ては床の上を転げ廻って怒鳴った。乗客は別にそれをいぶかる風もなく、暗い車内で黙ってその狂人を見守っていた。
私が家族を疎開させようという気になったのは、その狂人の演説を聞いている時であった。「妻を生かせ、子供を殺すな」彼は床に大の字に寝てそんなことを喚いた。それまで疎開の記事を何十書いて来たか知れなかったが、疎開など一度も考えたことがなかった。私ばかりでなく、新聞社の同僚の大部分がそうであった。新聞記者という人種は仕事のこととなると駈けずり廻っているくせに、自分のこととなると、ふしぎに怠惰で実行力を持っていなかった。
家族を疎開させることを思い立ったのが遅かったので、疎開を完了させるまでは大変だった。疎開先は鳥取県日野郡福栄村というところで、岡山、広島との県境に近い文字通り中国山脈の尾根だった。戦争などとは無関係な感じの、ひどくのんびりした土地で、夜は夥しいほたるの群れが田圃の畔道を明るくした。
私はそこに妻と、小学校二年を頭にする四人の子供たちと、七十歳の妻の母とを二回に疎開させた。そして生きて行くのに必要な最小限度の食物と品物をそのあとで運んだ。これでもう行かなくてもいいように、最後の荷物を運び終えて、山陰線廻りで大阪へ帰って来たのは六月の終りであった。大阪へ着いたのは夜だった。新聞社の別館の、社会部の宿直室へはいると、私は正体なく眠った。
空襲警報が出たのも知らなかった。ふと眼覚めると、宿直室には誰もいず、飛行機の爆音だけが空を游泳していた。私は疎開を完了していたので、さし当って身辺には為すべき何ものもなかった。為すべき何ものもないということが、ひどく私を無気力にしていた。そしてその無気力の中で、私は仔猫をどこかに匿し終えた親猫のずるい、併しどこかに悲しみを持った不逞不逞しい眼を思い出していた。私もいまあのような眼をしているのかと、その時思った。

赤穂の塩田視察をする広瀬蔵相の記事を取るために、カメラのS君と鳩係のAさんと三人で罹災者がすし詰めになっている山陽線列車に乗り込んだのは、七月の二十一日であった。蔵相一行の列車に万一乗り込めない場合のあることを慮って、二列車前の、大阪六時半発の下りに乗ったのである。
有年駅で下車。蔵相一行は有年駅から赤穂まで自動車で行くことになっていたので、ここで蔵相をつかまえる予定だったが、たまたま赤穂警察署の自動車が眼についたので、それに便乗させてもらって先きに赤穂に行ってしまった。
列車が遅れて、蔵相一行は午後二時頃赤穂にやって来た。その日は何回も警報が発令されていたが、警報が解除された時、広瀬氏は塩田に行き、その真ん中で自動車から降りた。

応対の物静かな紳士だった。何を訊いても、苦笑して、どうしょうもありませんなと言い、こんなことを書かれては困るが、そこは適当に書いて下さいと言った。
岬の対鴎鴎(原本はとりへんに区の旧字体(匚の中に品))館という旅館で、私はパラフィン紙に小さい字で会見記事を書いた。それをAさんは小さい円筒に詰め、自分が箱に入れて運んで来た四羽の鳩に背負わせた。私はカメラのS君と一緒に、二人共前夜宿直で何回も起こされてろくに眠っていなかったので奥の座敷で昼寝した。
眠りが浅く何回も眼覚めた。一時間以上経って、床を出て廊下に立って行くと、庭でまだ空を見上げているAさんの姿が見えた。
最後の鳩が雲の間をまだ翔んでいるが、大阪への方向がつかめないらしいと、心配そうに言った。そのうちに、「どうやら、もう見えなくなりましたよ」と、Aさんは顔を空へ向けたまま縁側に近寄って来た。余り長く仰向いていたので、急に首は普通の位置に戻らないらしく、両手を首にかけて、それを徐々に戻すようにした。
どうでもいいくだらない記事を鳩に背負わせたことが私はAさんに対してひどく悪いような気がした。Aさんは鳩が心配らしく、その日大阪へ帰り、私とS君は久しぶりで生命の心配をしないで眠るために、その晩そこへ泊った。(後略)

『井上靖全集 第二十三巻』新潮社 294?296P


(注)コンピューターシステムの都合上、旧字体・別体は表示できないため新字体で表示しています

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