PROFILE
神戸女学院大学(兵庫県西宮市)で教鞭を執る。大正3年(1914)1月12日岡山県に、前田多門・房子の長女として生まれる。ジュネーブのジャンジャック・ルソー教育研究所付属小学校、ジュネーブ国際学校、自由学園、成城高等女学校に学び、昭和10年(1935)に津田英学塾を卒業する。学生時代に多摩全生園聖書研究会にオルガン奏者として関わり、ハンセン病患者のために働くことを志す。その後、コロンビア大学の医学進学課程に進み昭和19年(1944)東京女子医学専門学校を卒業し、インターン時代に長島愛生園で実習を経験する。東京帝国大学医学部精神科医局で研究した後、昭和27年(1952)大阪大学医学部精神科に入局し、昭和35年(1960)「らいに関する精神医学的研究」により医学博士となる。昭和32年(1957)から長島愛生園精神科医師(非常勤)となる。昭和35年(1960)神戸女学院大学教授、昭和38年(1963)津田塾大学教授を務める。昭和47年(1972)、長島愛生園精神科医師を辞め、昭和51年(1976)津田塾大学も退職する。昭和54年(1979)10月22日65歳で逝去した。含蓄に富んだ人生論的エッセイを数多く残し、マルクス・アウレリウス『自省録』をはじめ、ヴァージニア・ウルフ、ミッシェル・フーコーなどの翻訳も手がけた。
《 略年譜 》
年 |
年齢 |
事項 |
1914 |
0 |
1月12日岡山県に、前田多門・房子の長女として生れる。 |
1935 |
21 |
津田英学塾を卒業する。 |
1944 |
30 |
東京女子医学専門学校を卒業する。 |
1952 |
38 |
大阪大学医学部精神科に研究生として入局する。 |
1954 |
40 |
神戸女学院大学助教授に就任する。 |
1957 |
43 |
長島愛生園非常勤職員となる。 |
1960 |
46 |
大阪大学より「らいに関する精神医学的研究」により医学博士の学位を授与される。神戸女学院大学教授となる。 |
1963 |
49 |
津田塾大学教授となる。 |
1972 |
58 |
長島愛生園精神科医師を辞任。 |
1976 |
62 |
津田塾大学教授辞任。 |
1979 |
65 |
10月22日、逝去。 |
- 逝去地
- 愛知県岡崎市
- 兵庫県との関係
- 神戸女学院大学(兵庫県西宮市)で教鞭を執る 芦屋市に居住
代表作品
作品名 |
刊行年 |
版元 |
備考 |
生きがいについて |
1966 |
みすず書房 |
|
精神疾患と心理学(翻訳) |
1970 |
みすず書房 |
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人間をみつめて |
1971 |
朝日新聞社 |
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心の旅 |
1974 |
日本評論社 |
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神谷美恵子著作集 全10巻 補巻2巻 別巻1巻 |
1980 |
みすず書房 |
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うつわの歌(没後刊行) |
1989 |
みすず書房 |
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神谷美恵子日記 |
2002 |
角川書店 |
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遍歴 |
2005 |
みすず書房 |
|
本、そして人 |
2005 |
みすず書房 |
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