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兵庫ゆかりの作家

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石川 達三写真

いしかわ たつぞう石川 達三

  • 明治38~昭和60
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:秋田県横手市

PROFILE

兵庫県が舞台の作品に『蒼氓』がある。 明治38年(1905)~昭和60年(1985)。秋田県生れ。早稲田大学英文科中退。昭和5年ブラジル移民として渡航し数ヶ月で帰国。「新早稲田文学」の同人となり精力的な創作活動をし、昭和10年(1935)ブラジル体験を描いた『蒼氓』で第1回芥川賞受賞。昭和13年(1938)『生きてゐる兵隊』が新聞紙法違反で起訴され、掲載紙は発売禁止になる。戦後は社会派作家として『人間の壁』『風にそよぐ葦』『金環蝕』など次々話題作を発表した。社会的な活動も広く日本文芸家協会理事長、日本ペンクラブ会長、日本文芸著作権保護同盟会長、A・A作家会議東京大会会長を歴任。

《 略年譜 》

年齢事項
190507月2日、秋田県平鹿郡横手町(現横手市)で生まれる。
19072父が県立秋田中学校(現秋田高校)教頭に転じ、秋田市楢山裏町に移る。
191274月、秋田市築山小学校入学。6月、東京大井町に転居。9月、岡山県上房郡高粱町(現高粱市)に転居。
1914911月、母うん死去。
191510東京の叔父石川六郎の家にあずけられるが、父再婚で再び高粱町へ。
191914高粱中学に入学。
192217岡山市に転居、関西中学4年に編入。
192520上京、早稲田大学第二高等学院に入学。同人誌「薔薇盗人」発行。
192621「山陽新聞」(岡山市)に『寂しかったイエスの死』を発表。
192722大阪朝日新聞」の懸賞小説に『幸福』が当選。早稲田大学英文科に入学。
192823早稲田大学中退後、国民時論社に入社。電気業界誌「国民時論」を編集。
193025国民時論社を一時退社し、ブラジル移民として渡航し数ヶ月で帰国、再び国民時論社に勤務。
193126「新早稲田文学」同人となる。
193227国民時論社退社、以後嘱託。
193530ブラジル体験を描いた『蒼氓』で第1回芥川賞受賞。
193631梶原代志子と結婚。
193833『生きてゐる兵隊』が筆禍事件。新聞紙法違反で禁固4ヶ月、執行猶予3年。
194237海軍報道班員として東南アジアへ派遣。
194641衆院選立候補落選。
194742文芸家協会常務理事となる。
194944芥川賞選考委員となる。
195247文芸家協会理事長。
196156アジア・アフリカ作家会議東京会議会長。
196661文芸著作権保護同盟理事長。
196964菊池寛賞受賞。
197570日本ペンクラブ会長。
197671芸術院会員となる。日本ペンクラブ会・二つの自由論問題。
1985791月31日、東京都目黒区・東京共済病院で逝去。
逝去地
東京
兵庫県との関係
訪問 舞台 『蒼氓』神戸移民収容所

代表作品

作品名刊行年版元備考
蒼氓1935改造社
短編集 深海魚1936改造社
日蔭の村1937新潮社
生きてゐる兵隊1938文藝春秋
結婚の生態1938新潮社
望みなきに非ず1947読売新聞社
風にそよぐ葦1950新潮社
自分の穴の中で1954新潮社
四十八歳の抵抗1955新潮社
人間の壁1959新潮社
僕たちの失敗1961新潮社
傷だらけの山河1964新潮社
洒落た関係1964文藝春秋
金環食1966新潮社
約束された世界1967新潮社
青春の蹉跌1968新潮社
開きすぎた扉1969新潮社
解放された世界1971新潮社
もっともっと自由を1979新潮社
七人の敵が居た1980新潮社
その愛は損か得か1982新潮社
若者たちの悲歌1983新潮社
わが人生観1984大和出版

受賞歴

受賞年受賞内容受賞作品
1926「朝日新聞」懸賞小説 大朝短篇小説「幸不幸」
1935第1回芥川龍之介賞「蒼氓」星座4月号
1964第26回「文芸春秋」読者賞「私ひとりの私」
1969第17回菊池寛賞

兵庫ゆかりの作品

作品名 刊行年 版元
あの頃の私と彼等
蒼氓
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