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兵庫ゆかりの作家

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須賀 敦子写真

すが あつこ須賀 敦子

  • 昭和4~平成10
  • ジャンル: 翻訳家・エッセイスト
  • 出身:大阪

PROFILE

兵庫県芦屋市に居住。兵庫県ゆかりの作品に『こころの旅』がある。 昭和4年(1929)大阪生まれ。幼児期を芦屋、西宮で過ごし、昭和12年(1937)から東京の聖心女子学院に通う。在学中の昭和22年(1947)に受洗。昭和28年(1953)から昭和30年にかけてパリ大学に留学、昭和33年にはローマのレジナムンディ大学に留学。神学を学んだ。長くイタリアに在住し、キリスト教文献の日本語翻訳を手がけながら雑誌「どんぐりのたわごと」をミラノから創刊。また、日本近代文学の翻訳にも力を注ぎ、昭和40年(1965)には日本文学の翻訳集『Narratori giapponesi moderni』を刊行し、イタリアでの日本文学の紹介に大きく貢献した。帰国後は上智大学比較文化学部教授に就任。イタリア文学の講義を続けながら、平成3年(1991)、『ミラノ 霧の風景』で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞。エッセイストとして高く評価された。その後も『ヴェネツィアの宿』などのエッセイが好評を博した。文壇で活躍した時間は約9年と短かったが、深い教養に裏打ちされた格調高いエッセイが没後も高い評価を受けている。

《 略年譜 》

年齢事項
192901月19日、大阪赤十字病院で父・豊次郎、母・満寿の長女として生れる。実家は兵庫県武庫郡(現:芦屋市)。
19356西宮市殿山町に転居。4月、小林聖心女子学院小学部に入学。
19378父の転勤に伴い、東京に転居。東京聖心女子学院に転入学。
194314戦況が逼迫したため西宮の実家に帰る。
194516戦時のため、5年制の聖心女子学院高等部を4年で卒業。終戦後、東京に戻り、聖心女子学院高等専門学校英文科(1948年「聖心女子大学」となる)に入学。空襲で焼失した専門学校が開校する迄、家から近い海軍療品廠に勤務。
194718受洗。
195122聖心女子大学外国語学部英語・英文科卒業。
195223両親の反対を押し切り、慶応義塾大学大学院社会学研究科に入学。
195324慶応義塾大学大学院中退。パリ大学に留学(~1955)。
195829イタリア留学。レジナムンディ大学で講義を受ける。
196031ミラノのコルシア書店から雑誌「どんぐりのたわごと」を発行。
196132両親の反対を押しきり、イタリア人ジュゼッペ・リッカと結婚。
196334日本の近代文学作品のイタリア語翻訳依頼が多くなる。
196536日本の近代文学作品を集めた『Narratori giapponesi moderni』刊行。
196738夫ジュゼッペ・リッカ死去。
197243帰国。慶応義塾大学外国語学校講師に就任。
198253上智大学外国語学部助教授に就任。
198960上智大学比較文化学部教授に就任
199061『ミラノ 霧の風景』刊行。
199162『ミラノ 霧の風景』で女流文学賞、講談社エッセイ賞受賞。
1992634月30日、『コルシア書店の仲間たち』刊行。
1995669月22日、『トリエステの坂道』刊行。
19966710月15日、『ユルスナールの靴』刊行。
1998693月20日、心不全のため死去。
逝去地
東京
兵庫県との関係
居住 芦屋

代表作品

作品名刊行年版元備考
ミラノ 霧の風景1990白水社
コルシア書店の仲間たち1992文藝春秋
ヴェネツィアの宿1993文藝春秋
トリエステの坂道1995みすず書房
ユルスナールの靴1996河出書房新社
時のかけらたち1998青土社
イタリアに詩人たち1998青土社
本に読まれて1998中央公論社
遠い朝の本たち1998筑摩書房
地図のない道1999新潮社
こころの旅2002角川春樹事務所
霧のむこうに住みたい2003河出書房新社
塩一トンの読書2003河出書房新社
こうちゃん2004河出書房新社
須賀敦子全集1?82006~2008河出書房新社
遠い朝の本たち2010埼玉福祉会

受賞歴

受賞年受賞内容受賞作品
1991第30回女流文学賞「ミラノ 霧の風景」
1991第7回講談社エッセイ賞「ミラノ 霧の風景」
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