ふじい しげお藤井 重夫
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大正5~昭和54
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ジャンル:
小説家
- 出身:兵庫県豊岡市
PROFILE
兵庫県豊岡市に生まれる。大正5年(1916)兵庫県豊岡市で生まれる。20歳で上京し、翌年応召してから中国各地を4年間転戦する。昭和16年(1941)朝日新聞社に入社し、同社南方特派員として2年間戦地生活をする。昭和34年(1959)朝日新聞社を退社。以後作家活動に専念し、昭和26年(1951)『佳人』が芥川賞候補作品となり、昭和40年(1965)『虹』で第53回直木賞を受賞。他に『家紋の果』『風紋』などの著書がある。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1916 | 0 | 2月10日、兵庫県豊岡市で生まれる。 |
1922 | 6 | 4月、豊岡尋常小学校に入学。 |
1928 | 12 | 4月、豊岡商業に入学。 |
1932 | 16 | 大阪市の谷口楽器店に奉公に出る。 |
1934 | 18 | この頃から『若草』他の雑誌に詩、俳句、戯曲、小説を次々に発表。この年の5月~10月、毎日新聞(大阪)に勤務する。 |
1935 | 19 | 5月、豊岡より初めて上京。三田の慶大館に下宿する。この年の秋、『若草』大阪支部結成の代表となる。 |
1936 | 20 | 2月、詩集『アルバム』を自費出版する。 |
1937 | 21 | 4月、2度目の上京。八王子に下宿する。8月、鳥取歩兵第40連隊に召集入隊。昭和15年(1940)5月まで中支で戦火を浴びる。 |
1941 | 25 | 3月、朝日新聞に入社(姫路通信局専属通信員)。4月、「日本詩壇」同人となる。11月、大阪天満宮にて挙式。姫路に居を構える。 |
1942 | 26 | 11月、加古川通信部に主任として転勤(姫路支局勤務)。 |
1943 | 27 | 3月、陸軍報道班員都市手フィリピン、マレー、ジャワ、ビルマ(インパール)へ従軍する。(昭和20年(1945)1月まで) |
1945 | 29 | 1月、宇治山田支局員となる。6月、二見ヶ浦交番に住み込む。9月、宇治山田(現伊勢市)の憲兵隊官舎へ転居。12月、朝日新聞大阪本社学芸部へ転勤。映画・演劇・文学の一部を担当。 |
1947 | 31 | 1月、長男亜夫誕生。2月、大阪府茨木市に転居。 |
1948 | 32 | 3月、長女比呂子誕生。 |
1949 | 33 | 11月、大阪西成区岸ノ里へ転居。 |
1950 | 34 | 5月、「嫁コ」をNHKラジオで放送。 |
1951 | 35 | 9月から11月末にかけて大阪成人学校にて「映画と文学」を講義。11月、朝日新聞東京本社へ転勤(『アサヒグラフ』編集部、以降図書編集部、『婦人朝日』→『週刊朝日』編集部)。12月、東京都世田谷区大原町へ転居。 |
1952 | 36 | 1月、小説「佳人」が芥川賞候補作品となる。5月、川端康成先生宅を訪問、初対面。「佳人」推薦・絶賛批評のお礼を述べる。以降2回訪問した。 |
1958 | 42 | 2月、日活映画「佳人」封切り。 |
1959 | 43 | 4月、朝日新聞社退職。執筆に専念する。8月、小説「風紋」NHKテレビ銀河ドラマとして放映(全9回)。この頃より旅行雑誌『旅』に連載寄稿のため日本中を頻繁に取材旅行。 |
1961 | 45 | 3月、小説「夜の猟人」日活映画化『東京のお転転婆娘』。8月、小説「夜の猟人」日活映画化『ヨットとお転転婆野郎』。9月、カニ喰い猿「モン吉」を飼い始める(10年間)。12月、小説「夜の猟人」日活映画化『カミナリお転転婆娘』。 |
1962 | 46 | 10月、日本テレビで「佳人」がドラマ化され、前後編で放映される。 |
1963 | 47 | 4月、「風紋」をQR文化放送などで1ヶ月に亙り(39回)放送。 |
1964 | 48 | 1月、NET「二十世紀ドキュメントシリーズ」4回放送。9月、NTVインタビュー放映。12月、文化放送で「蚤」放送(山本安英)。 |
1965 | 49 | 7月、小説『虹』で第53回直木賞受賞。10月、「虹」大阪中座で伊藤雅之助主演にて上演。11月、日大芸術学部にて特別講義。12月、NHKラジオで「虹」を放送。 |
1966 | 50 | 4月、小説「終わりなき鎮魂歌」毎日新聞第12回青少年読書感想文コンクール高校の部課題図書に入選。5月、愛猿モン吉と木島則夫モーニングショーに出演。文化放送で「虹」を放送。 |
1967 | 51 | 11月、「虹」NHKラジオ「私の本棚」で朗読。 |
1968 | 52 | 1月、日本テレビ「11PM」で「象の話」に出演。11月、二松学舎大学文化祭で文学講演。 |
1969 | 53 | 1月、NHKテレビ アフタヌーンショーに出演「乃木大将は軍神か愚将か」。9月、東京新聞「大波小波」欄執筆(~昭和46年(1971)3月、計49本を担当) |
1970 | 54 | 1月、NHKテレビ「10代とともに商業科」にゲスト出演。9月、「虹」NHK大阪「文芸劇場」で放送。 |
1972 | 56 | 12月、NHKラジオ「大石内蔵助の妻理玖」放送。 |
1973 | 57 | 8月、但馬文教府夏季大学で講演。 |
1974 | 58 | 11月、長男亞夫挙式。流山へ。流山が気に入りしばしば留守番に。 |
1976 | 60 | 10月、東松山で郵政省の講座を担当。 |
1977 | 61 | 7月、初孫誕生。亜左子と命名。 |
1978 | 62 | 4月、長女比呂子結婚。鳥山へ。 |
1979 | 63 | 1月15日脳溢血、17日世田谷中央病院にて死去。 |
- 逝去地
- 東京都世田谷区
- 兵庫県との関係
- 生誕 豊岡市
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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不二井滋詩集「アルバム」 | 1936 | 自費出版 | |
映画千一夜 | 1948 | 四国新聞社 | |
悲風ビルマ戦線 | 1956 | 鱒書房 | |
佳人 | 1957 | 東都書房 | |
風紋 | 1958 | 東都書房 | |
家紋の果 | 1958 | 東都書房 | |
佳人 | 1960 | 講談社 | |
夜の猟人 | 1960 | 東京文藝社 | |
花の肖像 | 1961 | 東京文藝社 | |
誰かと誰かが | 1963 | 秋元書房 | |
虹 | 1965 | 文芸春秋新社 | |
終わりなき鎮魂歌 | 1965 | 番町書房 | |
日の丸部隊 | 1965 | 南北社 | |
おない年 | 1966 | 秋元書房 | |
千羽鶴の祈り | 1966 | 秋元書房 | |
祝婚歌 | 1970 | 春陽堂 | |
虹 | 1970 | 春陽堂 | |
死線 | 1971 | 番町書房 | |
悲風ビルマ戦線 | 1971 | 番町書房 | |
静歌 | 1972 | 番町書房 | |
きけわだつみもうひとつの声 | 1975 | 汐文社 | |
終わりなき鎮魂歌 | 1975 | 番町書房 | |
にっぽんいそっぷ | 1981 | 崙書房 | |
虹 | 1982 | 角川書店 | |
受賞歴
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