てづか おさむ手塚 治虫
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昭和3~平成1
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ジャンル:
漫画家、アニメーション作家
- 出身:大阪府豊中市
PROFILE
兵庫県宝塚市に居住。兵庫県が舞台の作品に『アドルフに告ぐ』がある。昭和3年(1928)、大阪府豊中市に父・粲(ゆたか)、母・文子の長男として生まれる。5歳の頃、兵庫県川辺郡小浜村(現:宝塚市)に転居し、幼少年期を宝塚で過ごした。少年の頃から漫画を描き、漫画の魅力に取り憑かれる。大阪府立池田師範附属小学校(現:大阪教育大学附属池田小学校)、大阪府立北野中学校(現:北野高校)を経て、昭和20年(1945)大阪大学附属医学専門部入学。在学中に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』でデビュー。大学生活を続けながら『ジャングル大帝』を執筆した。大学卒業後、本格的に漫画を描くため上京。『リボンの騎士』や『鉄腕アトム』など、多くの作品を雑誌に連載する傍ら、アニメーション制作にも情熱を注ぎ、昭和37年(1962)虫プロダクション設立後、『鉄腕アトム』で国産初のテレビアニメを実現し、『ジャングル大帝』では国産初のカラーテレビアニメを制作するなど、日本の漫画文化向上に大きな足跡を残し、影響を与えた漫画家は計り知れないほど多い。三十年近くに渉って書き継がれ、ライフワークになった『火の鳥』、人間愛と正義感あふれるニヒルな天才医師の物語『ブラック・ジャック』、戦時中の神戸を舞台に、思想の虚構と正義とは何かを問う『アドルフに告ぐ』、他にも『マグマ大使』、『三つ目がとおる』、『ブッダ』など数多くの傑作を世に送りだし、「マンガの神様」と呼ばれた。平成元年(1989)2月10日、惜しまれながら逝去するまでに残した膨大な作品群は「人間愛」と「生命の尊厳」に貫かれており、現在でも根強いファンを持っている。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1928 | 0 | 11月3日、大阪府豊能郡豊中町(現・豊中市)に父・手塚粲(ゆたか)、母・文子の長男として生まれる。 |
1933 | 5 | 兵庫県川辺郡小浜村(現・宝塚市)へ転居。 |
1935 | 7 | 大阪府立池田師範附属小学校(現・大阪教育大学附属池田小学校)に入学。 |
1941 | 13 | 池田師範付属小学校を卒業。大阪府立北野中学校(現・北野高校)に入学。 |
1944 | 16 | 北野中学校を卒業。 |
1945 | 17 | 大阪大学附属医学専門部に入学。 |
1946 | 18 | 1月、デビュー作の4コマ漫画『マアチャンの日記帳』が「少国民新聞(のち毎日小学生新聞)大阪版」に連載開始。 |
1947 | 19 | 長編マンガ『新寶島』(酒井七馬/原作)刊行。 |
1950 | 22 | 1月、島田敬三を中心に「東京児童漫画会」(漫画長屋)が結成され、入会。3月、大阪大学医学専門部を卒業。 |
1952 | 24 | 医師国家試験に合格。仕事場を東京に移す。 |
1953 | 25 | 豊島区椎名町のトキワ荘へ引越す。 |
1954 | 26 | 豊島区雑司ヶ谷の並木ハウスへ引越す。 |
1955 | 27 | 4月、ラジオ東京で連続ドラマ『リボンの騎士』放送開始(~9月)。 |
1957 | 29 | 渋谷区代々木初台に引越す。4月、東京テレビで紙人形劇『鉄腕アトム』放送開始(~9月)。 |
1958 | 30 | 3月、『びいこちゃん』『漫画生物学』で第3回小学館漫画賞受賞。4月、東映動画の嘱託になり、「西遊記」の原案構成、演出を担当。油絵で出版美術家協会賞受賞。 |
1959 | 31 | 3月、フジテレビ開局番組に『鉄腕アトム』がドラマ化(~1960,5月)。10月、岡田悦子と結婚。 |
1960 | 32 | 練馬区富士見台に家を新築。8月、東映動画『西遊記』公開。 |
1961 | 33 | 1月、奈良県立医科大学で医学博士の学位を取得。6月、手塚治虫プロダクション動画部設立。8月、長男・真(まこと)誕生。 |
1962 | 34 | 1月、プロダクション名を虫プロダクションと変更。4月、虫プロダクションの新スタジオが完成、引越し。7月、東映動画『シンドバットの冒険』公開。11月、虫プロダクション第1回作品発表会を開催。『ある街角の物語』『鉄腕アトム 第1話アトム誕生』『おす』を上映。 |
1963 | 35 | 1月、国内初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』がフジテレビで放映開始。『ある街角の物語』で第17回芸術祭奨励賞、第13回ブルーリボン教育文化映画賞、第17回毎日映画コンクール第1回大藤信郎賞受賞。9月、アメリカNBCテレビで『鉄腕アトム』が「ASTRO BOY」と改題されて放映開始。 |
1964 | 36 | 2月、『鉄腕アトム』で第2回テレビ記者会賞特別賞受賞。4月、長女・るみ子誕生。7月、劇場用アニメ『鉄腕アトム・宇宙の勇者』が日活系劇場で公開。9月、「漫画集団」同人となる。 |
1965 | 37 | 1月、初の1時間長編テレビアニメ『新宝島』がフジテレビで放映。5月、『鉄腕アトム』で厚生大臣より表彰を受ける。8月、アメリカ、ヨーロッパへ旅行。10月、国産初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』がフジテレビで放映開始(~1966,9月)。 |
1966 | 38 | 『ジャングル大帝』で第4回テレビ記者会賞特別賞、児童福祉文化賞放送部門受賞。7月、劇場用アニメ『ジャングル大帝』東宝系にて公開。9月、虫プロ商事が発足。12月、雑誌「COM」が創刊され、『火の鳥』が連載開始。 |
1967 | 39 | 『鉄腕アトム』ほか諸作品で第4回放送批評懇談会ギャラクシー賞受賞。劇場版『ジャングル大帝』でベネチア国際映画祭サンマルコ銀獅子賞受賞。 |
1967 | 39 | 『展覧会の絵』で第21回芸術祭奨励賞、第17回ブルーリボン教育文化映画賞、毎日映画コンクール第5回大藤信郎賞、アジア映画祭動画部門賞受賞。『新ジャングル大帝 進め!レオ』で第6回日本テレフィルム技術賞受賞。 |
1968 | 40 | 1月、マンガ製作のための株式会社手塚プロダクションを設立。 |
1969 | 41 | 6月、次女・千以子(ちいこ)誕生。劇場用長編アニメ『千夜一夜物語』公開。 |
1970 | 42 | 『やさしいライオン』で毎日映画コンクール第8回大藤信郎賞、第12回児童福祉文化奨励賞受賞。『火の鳥』で第1回講談社出版文化賞(まんが部門)受賞。3月、劇場用アニメ『やさしいライオン』東宝系で公開。6月、虫プロ商事の社長に就任。9月、劇場用長編アニメ『クレオパトラ』公開。 |
1971 | 43 | 2月、集英社「週刊少年ジャンプ」に手塚賞新設、審査委員長になる。6月、虫プロダクション社長を退陣。10月、手塚プロ制作テレビアニメ『ふしぎなメルモ』朝日放送で放映開始(~1972,3月)。 |
1972 | 44 | 4月、アニメーションスタッフルーム制作テレビアニメ『海のトリトン』朝日放送で放映開始(~9月)。 |
1973 | 45 | 8月、虫プロ商事倒産。11月、虫プロダクション倒産。 |
1974 | 46 | 3月、杉並区下井草へ引越す。 |
1975 | 47 | 『ブラック・ジャック』で第4回日本漫画家協会賞特別優秀賞受賞。『ブッダ』『動物つれづれ草』で第21回文藝春秋漫画賞受賞。 |
1977 | 49 | 『三つ目がとおる』『ブラック・ジャック』で第1回講談社漫画賞受賞。6月、『手塚治虫漫画全集』全300巻(講談社)刊行開始。 |
1979 | 51 | 児童漫画の開拓と業績により第2回巌谷小波文芸賞受賞。 |
1980 | 52 | 3月、劇場用長編アニメ『火の鳥2772』東宝系劇場で公開。同作品でサンディエゴ・コミック・コンベンション・インクポット賞、ラスベガス映画祭動画部門賞受賞。国際交流基金のマンガ大使として国連本部、全米の大学で、現代日本のマンガ文化について講演。 |
1980 | 52 | 5月、東久留米市へ引越す。10月、手塚プロ制作テレビアニメ『鉄腕アトム』日本テレビで放映開始(~1981,12月)。 |
1984 | 56 | 3月、『陽だまりの樹』で第29回小学館漫画賞(青年・一般向け部門)受賞。6月、実験アニメ『ジャンピング』で第6回アニメーションフェスティバルグランプリ、およびユネスコ賞受賞。10月、『手塚治虫漫画全集』全300巻(講談社)完結。 |
1985 | 57 | 5月、永年にわたるアニメーション映画製作の功労により、第1回東京国際映画祭テラ・ピナアニメフェスティバルにて表彰される。6月、漫画家生活40年、『手塚治虫漫画全集』完結により、講談社漫画賞特別賞受賞。 |
1985 | 57 | 実験アニメ『おんぼろフィルム』で第1回広島国際アニメーション映画祭グランプリ、第4回バルナ国際アニメーションフェスティバルカテゴリー部門最優秀賞受賞。『ジャンピング』で第30回バリャドリド国際アニメーションフェスティバル銀穂賞受賞。12月、東京都民栄誉賞受賞。 |
1986 | 58 | 6月、『アドルフに告ぐ』で第10回講談社漫画賞(一般部門)受賞。 |
1987 | 59 | 2月、エッセイ集『観たり撮ったり映したり』で第14回キネマ旬報愛読者賞受賞。 |
1988 | 60 | 1月、戦後漫画とアニメ界における創造的な業績により朝日賞受賞。実験アニメ『森の伝説』で毎日映画コンクール第25回大藤信郎賞、第8回ザグレブ国際アニメーションフェスティバルCIFEJ賞(青少年映画賞)受賞。 |
1989 | 60 | 2月9日、胃ガンのため逝去。 |
- 兵庫県との関係
- 居住(宝塚市)
代表作品
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
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1958 | 第3回小学館漫画賞 | 「びいこちゃん」「漫画生物学」 |
1963 | 第17回芸術祭奨励賞 | 「ある街角の物語」 |
1963 | 第13回ブルーリボン教育文化映画賞 | 「ある街角の物語」 |
1963 | 毎日映画コンクール第1回大藤信郎賞 | 「ある街角の物語」 |
1964 | 第2回テレビ記者会賞特別賞 | 「鉄腕アトム」 |
1966 | 第4回テレビ記者会賞特別賞 | 「ジャングル大帝」 |
1966 | 児童福祉文化賞放送部門 | 「ジャングル大帝」 |
1967 | 第21回芸術祭奨励賞 | 「展覧会の絵」 |
1967 | 第17回ブルーリボン教育文化映画賞 | 「展覧会の絵」 |
1967 | 毎日映画コンクール第5回大藤信郎賞 | 「展覧会の絵」 |
1967 | ベネチア国際映画祭サンマルコ銀獅子賞 | 劇場版「ジャングル大帝」 |
1967 | 第6回日本テレフィルム技術賞 | 「新ジャングル大帝 進め!レオ」 |
1967 | 第14回アジア映画祭動画賞 | 「展覧会の絵」 |
1967 | 第4回放送批評懇談会ギャラクシー賞 | 「鉄腕アトム」ほか |
1970 | 毎日映画コンクール第8回大藤信郎賞 | 「やさしいライオン」 |
1970 | 第12回児童福祉文化奨励賞 | 「やさしいライオン」 |
1970 | 第1回講談社出版文化賞(児童まんが部門) | 「やさしいライオン」 |
1975 | 第4回日本漫画家協会賞特別優秀賞 | 「ブラック・ジャック」 |
1975 | 第21回文藝春秋漫画賞 | 「ブッダ」「動物つれづれ草」 |
1975 | 第1回講談社漫画賞 | 「三つ目がとおる」「ブラック・ジャック」 |
1979 | 第2回巌谷小波文藝賞 | 児童漫画の開拓と業績により |
1980 | 第1回ラスベガス映画祭動画部門賞 | 「火の鳥2772」 |
1980 | サンディエゴ・コミック・コンベンション・インクポット賞 | 「火の鳥2772」 |
1981 | 第3回アニメグランプリ特別賞 | 永年にわたるアニメーション文化の発展の貢献により |
1983 | 第4回日本文化デザイン賞 | 「鉄腕アトム」他で日本人のロボット観に大きな影響を与えたことにより |
1984 | 第29回小学館漫画賞(青年・一般向け部門) | 「陽だまりの樹」 |
1984 | 第6回ザグレブ国際アニメーションフェスティバルグランプリ、およびユネスコ賞 | 「ジャンピング」 |
1985 | 東京都民栄誉賞 | |
1985 | 講談社漫画賞特別賞 | 漫画家生活40年、「手塚治虫漫画全集」完結により |
1985 | 第1回広島国際アニメーションフェスティバルグランプリ | 「おんぼろフィルム」 |
1985 | 第4回バルナ国際アニメーションフェスティバルカテゴリー部門最優秀賞 | 「おんぼろフィルム」 |
1985 | 第30回バリャドリド国際アニメーションフェスティバル銀穂賞 | 「ジャンピング」 |
1986 | 第10回講談社漫画賞(一般部門) | 「アドルフに告ぐ」 |
1987 | 第2回映像ソフト大賞(通産大臣賞)ビデオ部門 | レーザーディスク「ジャンピング/手塚治虫」 |
1987 | 第14回キネマ旬報愛読者賞 | エッセイ「観たり撮ったり映したり」 |
1988 | 朝日賞 | 戦後漫画とアニメ界における創造的な業績により |
1988 | 第8回ザグレブ国際アニメーションフェスティバルCIFEJ賞(青少年映画賞) | 「森の伝説」 |
1988 | フランス・ブールアン・ブレス青少年のためのアニメーション映画祭青少年審査員短編部門賞 | 「森の伝説」 |
1988 | 毎日映画コンクール第25回大藤信郎賞受賞 | 「森の伝説」 |
1989 | テレビジョンATP賞特別賞 | 永年にわたるTV映像への貢献により |
1989 | 年間最優秀プロデューサーを選ぶ会特別賞 | |
1989 | 第10回日本SF大賞特別賞 | 多年にわたる貢献により |
1989 | 勲三等瑞宝章 | |
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