ふじさわ たけお藤沢 桓夫
-
明治37~平成1
-
ジャンル:
小説家
- 出身:大阪市
PROFILE
兵庫県が舞台の作品に『新雪』がある。明治37年(1904)、父・藤沢章次郎、母・カツの長男として生まれる。道仁小学校、今宮中学を経て、大正11年(1922)大阪高等学校に入学。大正15年(1926)東京帝国大学英文科に入学。今宮中学同窓の武田麟太郎と行動をともにし、同人雑誌「大学左派」に参加。「ローザになれなかった女」や「傷だらけの歌」がこの時代の代表作とされ、新進作家の地位を確立する。昭和8年(1933)以降、生まれ故郷の大阪に定住し、新聞、雑誌の連載小説を多く書いた。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
---|
1904 | 0 | 7月12日、大阪市東区に生まれる。父・章次郎、母・カツ。 |
1917 | 13 | 3月、道仁小学校を卒業。4月、今宮中学校に入学。同学年に武田麟太郎がいて、長く親交を結ぶ。 |
1922 | 18 | 3月、今宮中学校を卒業。4月、大阪高等学校文科甲類に入学。 |
1923 | 19 | 10月、神崎清、小野勇とともに同人雑誌「龍舫」を創刊。創刊号に4編の詩を、第二号には最初の小説「化粧」を発表。 |
1924 | 20 | 4月、「龍舫」廃刊。7月、小野十三郎らの「黒猫」と合流して同人雑誌「傾斜市街」を創刊。創刊号に「雪」を発表。 |
1925 | 21 | 3月、二号で廃刊した「傾斜市街」の後身となる「辻馬車」を創刊。同誌に発表した「首」が横光利一、川端康成らに認められる。 |
1926 | 22 | 3月、大阪高等学校を卒業。東京帝国大学英文科に入学、のち国文科に転科。 |
1927 | 23 | 本郷追分町の長栄館で武田麟太郎の隣室に下宿。10月、「辻馬車」廃刊。 |
1928 | 24 | 7月、「辻馬車」をはじめとする東大内七誌が合併して「大学左派」を創刊、同人となる。 |
1930 | 26 | 東京帝国大学国文科を卒業。健康状態がおもわしくなく、長野県の富士見高原療養所に入所。7月『傷だらけの歌』、11月『辻馬車時代』(ともに改造社)刊行。 |
1933 | 29 | 1月『漁夫』(春陽堂)刊行。富士見高原療養所を退所し、大阪に帰る。 |
1934 | 30 | 2月より、里見_、横光利一とともに「文学界」同人となる。5月『燃える石』(改造社)刊行。 |
1935 | 31 | 10月『大阪の話』(サイレン社)、11月『憎しみの坩堝』(政経書院)刊行。 |
1937 | 33 | 3月『大阪』(中央公論社)、『花粉』(新潮社)刊行。4月『道頓堀の女』(信正社)刊行。 |
1940 | 36 | 11月『大阪五人娘』(新潮社)刊行。 |
1942 | 38 | 6月『新雪』(新潮社)刊行。 |
1946 | 42 | 5月『朝の歌』、10月『大阪手帳』(ともに三島書房)刊行。 |
1947 | 43 | 7月『大阪千一夜』(明星社)刊行。 |
1948 | 44 | 9月『私は見た』(新潮社)刊行。 |
1949 | 45 | 4月『花は偽らず』(講談社)刊行。 |
1953 | 49 | 11月『青い薔薇』(読売新聞社)刊行。 |
1954 | 50 | 2月『東京アダムと大阪夫人』(東京文芸社)刊行。8月『天使は濡れている』(東京文芸社)、『地に花あり』(豊文社)刊行。11月、『藤沢桓夫長篇小説選集』全20巻(東方社)刊行開始(~1956)。 |
1956 | 52 | 8月『薔薇はよみがえる』、12月『君は花の如く』(ともに講談社)刊行。 |
1957 | 53 | 8月、矢倉典子と結婚。 |
1958 | 54 | 2月『誰も知らない』(講談社)刊行。 |
1959 | 55 | 2月『大阪八景』(講談社)、9月『青春の打席』(角川書店)、10月『泉は涸れず』(講談社)刊行。 |
1960 | 56 | 6月『風は緑に』(講談社)刊行。 |
1961 | 57 | 11月『都に雨の降る如く』(講談社)刊行。 |
1962 | 58 | 4月、長女・章子誕生。 |
- 兵庫県との関係
- 舞台 阪神
代表作品
Copyright © Net Museum Hyogo Bungakukan All Rights Reserved.