常設展示

兵庫ゆかりの作家

  1. TOP
  2. 常設展示
  3. 兵庫ゆかりの作家
  4. 香川 景樹

かがわ かげき香川 景樹

  • 明和5~天保14
  • ジャンル: 歌人
  • 出身:鳥取

PROFILE

【兵庫県との関係】
享和元年(1801)正月から文化3年9月の間に、6度も伊丹を訪れ、桂園派の和歌を伊丹に根付かせた。紫竹庵梁岳・円通庵・中村民一・大塚寛柔・山本重英・法性寺水月などの門人が伊丹に輩出した。
【略歴】
姓ははじめ荒井、のち香川。名ははじめ銀之助・純徳・式部、のち景樹。号は桂園・東塢(とうう)亭・梅月堂・観鶩(かんぼく)亭・臨淵社・万水楼など。因幡鳥取藩池田侯家臣荒井小三次の二男として出生。清水貞固に詠歌の道を学んだが、寛政5年(1793)26歳の時に和歌修行のため出奔して上京。次第に歌人として頭角をあらわし、同8年(1796)に二条派地下の宗匠家香川景柄に夫婦養子として入る。文化元年(1804)には香川家を離れ独立した。賀茂真淵門の村田春海・加藤千蔭らの江戸派と論争を行い、真淵の『新学(にひまなび)』を批判した『新学異見』を著し、国学派が万葉集を理想としたのに対して、『古今集』の調べを重視し「しらべの説」を唱えた。その新風、桂園派は勢力を拡大し、幕末から明治期にかけて、御歌所和歌の主流となる。門人には「桂園の四天王」と称された熊谷直好・木下幸文・菅沼斐雄(すがぬまあやお)・高橋残夢らがいる。

  播磨の別府なる手枕の松のかたに
――万代は夢なりけりと手枕の松も老いてや思ひしるらむ――(『桂園一枝』)

逝去地
京都
兵庫県との関係
訪問 伊丹
もっと詳しく知るために
香川景樹論 山本嘉将 1942 昭和17年 育英書院
香川景樹の研究 黒岩一郎 1957 昭和32年 文教書院
人物叢書『香川景樹』 兼清正徳 1973 昭和48年 吉川弘文館

代表作品

作品名 刊行年 和暦 備考
『新学異見』(歌学書) 1811 収録:『日本歌学大系8』『小学館日本古典文学全集「歌論集」』
『中空の日記』(紀行) 1818 収録:『桂園遺稿』上
『またぬ青葉』(日記) 1820 収録:『続歌学全書4』
『百首異見』(注釈書) 1823 収録:『古典文庫』『新典社叢書』
『土佐日記創見』(注釈書) 1823 収録:『国文学註釈叢書1』
『桂園一枝』(歌集) 1830 収録:『新編国歌大観9』
『古今和歌集正義』(注釈書) 1835 収録:古今和歌集正義講稿』竹岡正夫(勉誠社)
『桂園一枝拾遺』(歌集) 1850 収録:『新編国歌大観9』
『桂園遺文』(歌学書) 1860 収録:『日本歌学大系8』

同じ時代のゆかりの作家

ページの先頭へ