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兵庫ゆかりの作家

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せいぎょ青魚

  • 正徳2~天明8
  • ジャンル: 俳人
  • 出身:西宮

PROFILE

【兵庫県との関係】
西宮の医師にして俳人。西宮の名族の生まれで、京で医の修業をしたのち、大坂で開業。44歳に郷里西宮に帰り開業するとともに、俳諧活動も活発におこなった。一族の墓碑はもと西宮の海清寺にあったが、昭和初期に満地谷墓地に移されたのち、現在は不明とされる。
【略歴】
別号に疎竹庵・南谿子、諱は弸、字は孔彪・正析。法名、宗雲。父勝部兼義(了元)の三男として生まれる。勝部氏は代々西宮の大庄屋を勤める家柄で、また祖父・父ともに名医として知られていた。
17歳で父を亡くしたあと、上京して村上等詮に医を学ぶ。あわせて儒者宇野明霞に入門、片山北海や大典など大儒と同門となる。同時に、田中大観について中国語を学ぶ。
学なって、大坂平野町で開業する。その地で淡々に出会って俳諧をはじめ、多くの俳人と交際する。なかでも漁焉(上田秋成)とは終生の親交を結ぶことになる。宝暦5年(1755)には西宮に帰って、同地で医業を続け、とくに天然痘の治療に名声を馳せた。
西宮でも俳諧を活発にし、淡々系俳人にとどまらず、蕪村系の大魯や伊丹の俳人、さらに京の几圭・嘯山や一炊庵系俳人とも俳交を重ねる。その活動は、専門俳人としてではなく、医業のかたわらに楽しむものであり、特定の俳系に属することはなかった。この時期は、蕉風復興期にあたっているが、「蕉翁は隠者の幽、我輩(わがともがら)の窺ふべからず」(『にしのみやぐさ』秋成序)といわれるように、風潮にあえて背を向けて、芭蕉流の俳諧をとらなかったのは異色といえる。

大石に行々途中吟
――たばこやら胡麻やら花の咲みだれ――(『にしのみやぐさ』)

兵庫県との関係
生誕 西宮
もっと詳しく知るために
勝部青魚(収録:『郷土史芸苑』) 吉井良尚 1969 昭和44年
俳人勝部青魚(収録:『俳林?歩』) 大谷篤蔵 1988 昭和63年 岩波書店

代表作品

作品名刊行年版元備考
桑蓬集(還暦賀集)1773収録:『上方俳書集 上』(上方芸文叢刊)
にしのみやぐさ(俳諧句集)1789収録:『天明俳書集 4』
剪燈随筆(随筆)未刊収録:『随筆百花苑 6』

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