PROFILE
【兵庫県との関係】
兵庫県を舞台とした作品は、元禄6年(1693)に上演された歌舞伎『仏母摩耶山開帳(ぶつもまやさんかいちょう)』で、この年3月14日から4月14日まで、神戸の摩耶山の十一面観世音菩薩が開帳になったことを当て込んでの作品である。また、宝永4年(1707)の浄瑠璃『五十年忌歌念仏』は、お夏清十郎物であるが、姫路が舞台となっている。
【略歴】
幼名、次郎吉。通称、平馬。別号、平安堂・巣林子(そうりんし)・不移山人(ふいさんじん)。越前藩士杉森市左衛門信義の次男として福井に生まれる。少年時代は父の任地吉江で過ごしたが、10代半ば頃に父が浪人となったために一家は京都に移住。寛文11年(1671)19歳のとき、俳諧文集『宝蔵』に家族とともに句を掲載。25歳頃から浄瑠璃の作品を書き始めたとみられ、延宝5年(1677)からはいくつかの近松推定作がある。近松最初の確実な作品は、天和3年(1683)に宇治座で上演された『世継曽我』である。『世継曽我』は、大坂道頓堀で「竹本座」を旗揚げした竹本義太夫によっても語られ、評判となる。元禄6年(1693)に最初の歌舞伎作品が上演されてから以後約10年間は、歌舞伎中心の創作活動となる。尼崎市の広済寺と大坂市の法妙寺に墓碑がある。
- 兵庫県との関係
- 墓碑 尼崎市広済寺
- もっと詳しく知るために
-
近松全集(全17巻) 岩波書店
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
---|
世継曾我(浄瑠璃) | 1683 | | |
出世景清(浄瑠璃) | 1685 | | |
佐々木大鏡(浄瑠璃) | 1686 | | |
今川了俊(浄瑠璃) | 1687 | | |
仏母摩耶山開帳(歌舞伎) | 1693 | | |
水木辰之助餞振舞(歌舞伎) | 1695 | | |
傾城阿波の鳴門(歌舞伎) | 1695 | | |
姫蔵大黒柱(歌舞伎) | 1695 | | |
夕霧七年忌(歌舞伎) | 1697 | | |
大名なぐさみ曾我(歌舞伎) | 1697 | | |
百夜小町(歌舞伎) | 1697 | | |
当流小栗伴官(浄瑠璃) | 1698 | | |
一心二河白道(歌舞伎) | 1698 | | |
傾城仏の原(歌舞伎) | 1699 | | |
新小町栄花車(歌舞伎) | 1701 | | |
御曹司初寅詣(歌舞伎) | 1701 | | |
傾城壬生大念仏(歌舞伎) | 1702 | | |
唐埼八景屏風(歌舞伎) | 1703 | | |
曾根崎心中(浄瑠璃) | 1703 | | |
吉祥天女安産玉(歌舞伎) | 1704 | | |
傾城金竜橋(歌舞伎) | 1705 | | |
用明天王職人鑑(浄瑠璃) | 1705 | | |
五十年忌歌念仏(浄瑠璃) | 1707 | | |
堀川波鼓(浄瑠璃) | 1707 | | |
丹波与作待夜の小室節(浄瑠璃) | 1708 | | |
心中万年草(浄瑠璃) | 1710 | | |
冥土の飛脚(浄瑠璃) | 1711 | | |
夕霧阿波鳴渡(浄瑠璃) | 1712 | | |
嫗山姥(浄瑠璃) | 1712 | | |
国性爺合戦(浄瑠璃) | 1715 | | |
大経師昔暦(浄瑠璃) | 1715 | | |
鑓の権三重帷子(浄瑠璃) | 1717 | | |
博多小女郎波枕(浄瑠璃) | 1718 | | |
平家女護島(浄瑠璃) | 1719 | | |
心中天の網島(浄瑠璃) | 1720 | | |
信州川中島合戦(浄瑠璃) | 1721 | | |
心中宵庚申(浄瑠璃) | 1722 | | |
関八州繋馬(浄瑠璃) | 1724 | | |
文学碑
Copyright © Net Museum Hyogo Bungakukan All Rights Reserved.