PROFILE
【兵庫県との関係】
寛政11年(1799)4月に伊丹で誕生する。大和屋の長子。明治3年(1870)に家督を譲り、明治7年11月14日午前7時に没した。生涯を伊丹に過ごす。酒造家で俳人の山口太乙(たいおつ)の別家にあたる。
【略歴】
梶氏。別号照顔斎。通称大和田屋金兵衛。若年から俳諧を嗜み、安政3年(1856)秋には二条殿から官服着用御免の待遇をうけた。鬼貫に対する敬慕が深く、その顕彰にも尽力し、鬼貫の句碑を建立している。
また、嘉永元年(1848)、芭蕉の『奥の細道』を訪ねる旅に出て、安政2年『照顔斎道の記』を著した。
幕末期の伊丹俳壇の指導的立場にあり、各地の俳人とも交遊し、全国的な知名度をもっていた。
墓は伊丹焼野の杜若寺にある。
――雉子鳴やよい駅なれと一重町――(『海内人名録』)
- 逝去地
- 伊丹(推定)
- 兵庫県との関係
- 生誕・居住 伊丹
- もっと詳しく知るために
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伊丹文芸資料 伊丹資料叢書1 岡田利兵衛/編 1975 昭和50年 伊丹市役所
近世における伊丹文学の展開 岡田利兵衛/著 1990 平成2年 財団法人柿衞文庫
兵庫ゆかりの俳人 財団法人柿衞文庫/編 1998 平成10年 神戸新聞総合出版センター
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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照顔集(俳諧撰集) | 1845 | | |
照顔斎道の記(俳諧紀行・自筆本) | 1855 | | 収録:『伊丹文芸資料』 |
道しるべ(俳諧墨蹟帖・俳諧伝記・写本・直筆本) | 1861 | | |
文学碑
場所 |
碑文 |
伊丹市伊丹5丁目3有岡公園
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奥の細道を慕ふ照顔斉道の記 天は月に遊び地は花に遊ぶをもて風雅の元とす祖翁は奥の細道を尋て五七五の作意をいつ迄もつきせぬ余情定め置かれける己も此道をしたはんとて嘉永元申年弥生の空を待兼道祖神のまねきにあひ三りの灸をすゆるより白川の関を越へ松嶋の月を見んと心そゝろに茂助といふ供をつれ杖をとりて
道をみや尋る人も千松嶋
と一句を言ふて三月四日早朝より浪花表へ発足す其頃天遊渓斉糸海に逗留 又 糸海の衆中送別の句々左に
はたこ町通り過して花すミれ 天遊
あかぬ日のあかぬ道なりきしの声 渓斉
風流の賈客君に似たるは稀なり。遠く名迹を指して旅衣を試む。奇貨居くべし松嶋の翠、毫底に収め尽くして嚢を括りて帰ることを試む。 静庵
松島や雄しまによするしらなみの 立ちかへる日をいつとまたまし 良臣
松の香をしほりに出よ花の中 太乙
むつのくのつとの花見や嵐山 ぬか人
安政2年卯七月 照顔斉 |
伊丹市鈴原町7丁目遍照寺
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数あれど散に眼のゆくさくらかな 糸海曲阜 |
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