展覧会構成

第1章 初期の作品〜文展入選まで

元明石藩の儒者、橋本海関を父として神戸・坂本村(現在の中央区楠町)に生まれた橋本関雪は、漢学、詩文に長じ、古美術にも深い見識を持っていた父の影響により、幼い頃から漢籍に親しみ、その教養を身につけました。12歳から本格的に日本画を学び、21歳のとき竹内栖鳳の画塾竹杖会に入門、京都と神戸とで制作三昧の日々を過ごします。

本章では、このたび新発見の作品を含め、若くして優れた才能を発揮した関雪の最初期から、1908年に第2回文展へ初入選するまでの作品を展示します。

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第2章 文展での活躍

1908年の第2回文展入選以降、連続して文展に入選、関雪は堰を切ったかのごとく画才を発揮、代表作がこの時代つぎつぎと生み出されていきます。

本章では、中国の古典や、日本の歴史的題材を描いた作品、さらに中国への旅の印象をもとに制作した作品など、明治末から昭和初期にかけての文展、帝展への出品作を中心に展示します。六曲一双の大画面にくり広げられる雄渾、華麗な絵画世界はまさに圧巻であり、関雪芸術のひとつの到達点といってもよいでしょう。

猟 1915年 第9回文展 公益財団法人 橋本関雪記念館蔵

木蘭 1918年 第12回文展 DIC川村記念美術館蔵

南国 1914年 第8回文展 姫路市立美術館蔵

上段:猟 1915年 第9回文展 公益財団法人 橋本関雪記念館蔵
中段:木蘭 1918年 第12回文展 DIC川村記念美術館蔵
下段:南国 1914年 第8回文展 姫路市立美術館蔵

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第3章 南画と関雪

この章では、関雪の南画への関心を示す作品を紹介します。
中国書画や文物に対する愛着は、関雪の芸術の根底にありますが、大正半ばごろからその傾向が顕著になります。この時期、ヨーロッパ旅行にも出かけ、後期印象派の諸作品に衝撃を受ける一方で、ますます東洋画、南画への確信を深めていきました。

画家として、いよいよ充実期に入った関雪は、日本人画家としての自らの立ち位置を再確認すべくさかんに著述をおこない、制作の上でも様々な表現を試みます。
新南画とよばれる色彩豊かな山水画、白描による作品、大和絵風の作品など一つのスタイルにとどまらない多彩な世界を紹介します。

凍雲危棧図 1916年 公益財団法人 橋本関雪記念館蔵

摘瓜図 1925年頃 姫路市立美術館蔵

僊女 1926年 西宮市大谷記念美術館蔵

左:凍雲危棧図 1916年 公益財団法人 橋本関雪記念館蔵
中:摘瓜図 1925年頃 姫路市立美術館蔵
右:僊女 1926年 西宮市大谷記念美術館蔵

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第4章 動物画の世界

関雪の名を不朽ならしめ、文部省買い上げとなった代表作、第14回帝展出品作《玄猿》(1933年・東京藝術大学蔵)をはじめとする動物画の名作を本章では紹介します。

後半生に集中的に描かれた動物画は、中国の画題や風物へ心を寄せたそれまでの作品とは全く異なる趣で描かれており、動物の一瞬の表情や動きを巧みにとらえて描く、四条派の動物画の伝統を関雪が確かに継承していたことを伺わせます。
動物画の制作は、円熟期を迎えた画家が心機一転、もう一歩新たな境地に臨もうとした、ひとつの挑戦であったとみることもできるでしょう。

唐犬図 1936年 改組第1回帝展 大阪市立美術館蔵

唐犬図 1936年 改組第1回帝展 大阪市立美術館蔵

玄猿 1933年 第14回帝展 東京藝術大学蔵

上段:唐犬図 1936年 改組第1回帝展 大阪市立美術館蔵 ※10月13日まで展示
下段:玄猿 1933年 第14回帝展 東京藝術大学蔵

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第5章 戦争そして晩年

関雪の晩年は戦争という時代の下にあり、関雪のみならず同時代の美術家たちが彩管報国というスローガンのもと様々な制約の中で絵を描かねばならない状況にありました。

そのような中、彼は日本画壇を代表する画家のひとりとして、求められた責務を果たし、旺盛な創作活動を行いました。本章は、戦争に関連のある主題を描いた関雪晩年の作品を展示します。

香妃戎装 1944年 戦時特別文展 衆議院蔵

防空壕 1942年 東京国立近代美術館蔵

左:香妃戎装 1944年 戦時特別文展 衆議院蔵
右:防空壕 1942年 東京国立近代美術館蔵

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