展覧会の構成
1 ハーグ派に導かれて
ファン・ゴッホの唯一の師と言われる画家アントン・マウフェは、ハーグ派の中心的な人物でした。マウフェから対象を観察すること、画材の基本的な扱い方を学び、また、他のハーグ派の画家たちとも交流する中でファン・ゴッホはモティーフに真摯に取り組む姿勢を身につけます。

1-1
独学からの一歩

はじめ独学で絵を学んでいたファン・ゴッホは、色彩やデッサンに関する専門書を読んだり、ジャン=フランソワ・ミレーなど過去の巨匠たちの作品を模写したりしていました。

1-2
ハーグ派の画家たち

19世紀後半にオランダの都市ハーグを拠点に活動した画家たちのグループをハーグ派と呼びます。彼らは、街の周囲に広がる田園地帯や海岸の風景を詩情豊かに描きだしました。


アントン・マウフェ《4頭の曳き馬》制作年不詳 油彩・板 19.5×32cm ハーグ美術館 (c)Kunstmuseum Den Haag
「テオ、色調と色彩がどれほど重要なことか!
それに対する感覚をつかめない者は、生命を表すことなんてとうていできないだろう。
これまで僕には見えていなかったものを、マウフェはたくさん教えてくれた。」
-1881年12月23日頃
弟テオへの手紙より(エッテン)

マテイス・マリス《出会い(仔ヤギ)》1865-66年頃  油彩・板 14.8×19.7cm ハーグ美術館 (c)Kunstmuseum Den Haag
「自然、現実、真理。
これらのものから芸術家は意味や解釈、特質を取り出し、そこに表現や自由を与え、暴露し、解放し、つまびらかにする。
マウフェやマリスやイスラエルスの絵は、自然そのものよりも明快に語るんだ。」
-1879年6月19日頃
弟テオへの手紙より(ヴァム)

1-3
農民画家としての夢

ファン・ゴッホははじめての油彩画による大作《ジャガイモを食べる人々》に取り組むべく、ひと冬をかけて習作を描き準備を整えました。


フィンセント・ファン・ゴッホ 《農婦の頭部》 1885年 油彩・カンヴァス 46.4×35.3cm スコットランド・ナショナル・ギャラリー (c) National Galleries of Scotland, photography by A Reeve
「僕はまだ十分に土で描かれた頭部というものを自分のものにしていない。今後はもっと手がけていきたいんだ。」
-1885年5月28日頃
弟テオへの手紙より(ニューネン)

フィンセント・ファン・ゴッホ《ジャガイモを食べる人々》<br>
1885年4-5月 リトグラフ(インク・紙) 26.4×32.1cm (c) Kunstmuseum Den Haag ハーグ美術館
「リトグラフについては説明しておきたい。僕はあれを記憶だけで、しかも1日で仕上げたんだ。頭がおかしくなりそうなほど構図を探して、とても難しい処理をして、それらをまとめることができる新たなアイディアを探していたんだ。」
-1885年7月15日頃
友人の画家ファン・ラッパルトへの手紙より(ニューネン)
2 印象派に学ぶ
弟テオを頼ってパリに出たファン・ゴッホは、初めて目にする印象派の作品に大きく衝撃を受けます。それから原色を用いた明るい画面作りと筆触を残した描き方を取り入れたことで、作風を劇的に変化させました。その後南仏、パリの北方へと移動する中でファン・ゴッホは自然を観察し、独自の色彩と筆遣いを追究し続けました。

2-1
パリでの出会い

1886年の2月にパリに出たファン・ゴッホは、孤高の画家モンティセリや日本の浮世絵、印象派など彼の芸術に大きな影響を与える出会いをいくつも果たしました。


フィンセント・ファン・ゴッホ<br>
《花瓶の花》 1886年夏 油彩・カンヴァス ハーグ美術館 (c) Kunstmuseum Den Haag
それと、この頃僕自身がしていることと言えば、モデルに払うお金があれば人物像ばかり 描くところだが、そうでないから花の油絵を描いて色を研究している。
-1886年9月か10月
友人の画家リヴェンスへの手紙より(パリ)

2-2
印象派の画家たち

それまで写実主義的な絵を描いていたファン・ゴッホは、印象派の作品に大きく衝撃を受け、その明るい色遣いや筆触を取り入れるようになりました。


カミーユ・ピサロ 《エラニーの牛を追う娘》 1884年 油彩・カンヴァス 59.7×73.3cm 埼玉県立近代美術館
「ピサロが言っていることは本当だ。色を調和させたり、または不調和にすることで生まれた効果は、思い切って強調しなければならない。」
-1888年6月5日頃
弟テオへの手紙より(アルル)

クロード・モネ 《クールブヴォワのセーヌ河岸》 1878年 油彩・カンヴァス 50.5×61cm モナコ王宮コレクション (c) Reprod. G. Moufflet/Archives du Palais de Monaco
「アントウェルペンでは、僕は印象派が何なのかすらわかっていなかった。今や彼らの作品を見てきて、その一員ではないにしても、印象派の絵のいくつかに大いに感服している-例えばドガの裸婦やクロード・モネの風景画なんかがそうだ。」
-1886年9月から10月
友人の画家リヴェンスへの手紙より(パリ)

2-3
アルルでの開花

南仏の光溢れる景色の中で、ファン・ゴッホは独自の技法を打ち立てていきます。原色を使い、絵の具を厚く塗り重ね、風景や人々を描きとめました。


フィンセント・ファン・ゴッホ 《麦畑》 1888年6月 油彩・カンヴァス50×61cm P. & N. デ・ブール財団<br>
(c) P. & N. de Boer Foundation, Amstrerdam
「周囲を見渡すと自然の中にたくさんの発見があって、それ以外のことを考える時間がほとんど無いことだ。なぜかというと、今はちょうど収穫の時期にあたるからね。〔…〕この1週間はずっと小麦畑の中にいて、太陽にさらされながらとにかく仕事をしたよ。」
-1886年6月21日
弟テオへの手紙より(アルル)

2-4
さらなる探究

精神病の発作によってサン=レミの精神療養院に入っても、またパリ北部に位置するオーヴェール=シュル=オワーズに移っても、ファン・ゴッホは制作する手をとめず最後まで自分自身の芸術を追い求めました。


フィンセント・ファン・ゴッホ 《薔薇》1890年5月 油彩・カンヴァス 71×90cm ワシントン・ナショナル・ギャラリー (c) National Gallery of Art, Washington D.C., Gift of Pamela Harriman in memory of W. Averell Harriman
「サン=レミにいた最後の数日間、一心不乱に花束を描いたよ。薔薇や紫のアイリスだ。」
-1890年6月5日
妹ウィルへの手紙より(オーヴェール=シュル=オワーズ)