ごしゅういしゅう後拾遺集
- 勅撰和歌集
概要
【作者】
白河天皇の下命により、藤原通俊が撰進した。
【成立年】
応徳3年(1068)に奏覧された。
【備考】
奉勅時の撰者通俊は29歳であったため、当時の歌壇の実力者から批難を受けていた。しかし、和泉式部・相模・赤染衛門・伊勢大輔など、一条朝の女流歌人を尊重するなど、『古今集』『後撰集』『拾遺集』などとは異なったものを目指している。
兵庫県との関係
春上に「高砂の尾上の桜」が、秋上に「高砂の尾上の松」が、恋二に「有馬山」と「猪名の篠原(いなのささはら)」「昆屋(こや)」が、羇旅に「芦の屋の昆屋(こや)」「須磨の浦」「「明石」「明石の浦」「書写(山)」「播磨の明石の浦」が、雑三に「高砂の尾上の松」が、雑四に「高砂」「尾上」がよまれている。
もっとくわしく知るために
『後拾遺集前後』 笠間書院 上野理
テキスト
和泉古典叢書 和泉書院
新日本古典文学大系 岩波書店