播磨国風土記
- 巻号:託賀郡
- 作者:未詳
内容
右、託加と名づくる所以は、昔、大人ありて、常に勾(かがま)り行きき。南の海より北の海に到り、東より巡り行し時、この土に到来りて、云ひしく、「他土は卑(ひく)ければ、常に勾り伏して行きき。この土は高ければ、申(の)びて行く。高きかも」といひき。故、託賀の郡といふ。
場所
託賀郡 (たかのこおり)
現在地
兵庫県西脇市および、多可郡中町・黒田庄村・八千代村・加美村の地。
常設展示
右、託加と名づくる所以は、昔、大人ありて、常に勾(かがま)り行きき。南の海より北の海に到り、東より巡り行し時、この土に到来りて、云ひしく、「他土は卑(ひく)ければ、常に勾り伏して行きき。この土は高ければ、申(の)びて行く。高きかも」といひき。故、託賀の郡といふ。
託賀郡 (たかのこおり)
兵庫県西脇市および、多可郡中町・黒田庄村・八千代村・加美村の地。