日本書紀
- 巻号:巻第二十二
- 作者:舎人親王(とねりしんのう)ら編纂
内容
(推古天皇 十一年)秋七月の辛丑(かのとうし)の朔(ついたち)癸卯(みづのとのうのひ)に、当摩(たぎま)皇子、難波より発船(ふなたち)す。丙午(ひのえうまのひ)に、当摩皇子、播磨に到る。
時に、従ふ妻舎人姫王(とねりのひめおほきみ)、赤石(あかし)に薨(みう)せぬ。仍りて赤石の桧(ひ)笠岡の上に葬(はぶ)る。乃ち当摩皇子返りぬ。遂に征討つことをせず。
場所
明石 (あかし)
現在地
兵庫県明石市
常設展示
(推古天皇 十一年)秋七月の辛丑(かのとうし)の朔(ついたち)癸卯(みづのとのうのひ)に、当摩(たぎま)皇子、難波より発船(ふなたち)す。丙午(ひのえうまのひ)に、当摩皇子、播磨に到る。
時に、従ふ妻舎人姫王(とねりのひめおほきみ)、赤石(あかし)に薨(みう)せぬ。仍りて赤石の桧(ひ)笠岡の上に葬(はぶ)る。乃ち当摩皇子返りぬ。遂に征討つことをせず。
明石 (あかし)
兵庫県明石市