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兵庫ゆかりの文学

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灰谷 健次郎

はいたに けんじろう灰谷 健次郎

  • 昭和9~平成18(1934~2006)
  • ジャンル: 児童文学者
  • 出身:神戸

作品名

太陽の子(小説)

刊行年

1978

版元

理論社

概要

てだのふあ・おきなわ亭がある神戸の街は、トランプのカードをなん枚も横にならべてみせたような街で、古くからトアロード、外人墓地、メリケン波止場などといういかにもモダンな風なものがあり、市役所広場の時計を四季の花でかざって、花時計と呼んだり、三宮駅から神戸税関にいたる道をフラワーロードと名づけてみたり、ポートアイランドにポートタワーと、ひどくおしゃれな印象を与える街であった。
もちろん、それも神戸の一つの顔にはちがいなかったが、ふうちゃんの店のあるミナト町はそういうお化粧をしようにもお化粧のしようのない下町であった。
湊川の土手が発達してできたといわれる新開地を、東寄りに海の方へさがると、つきあたりに川崎造船所があり、造船所の正門にいたるまでの界隈は労働者相手の大衆食堂や酒場が軒をつらねている。すぐそばに市場があるので、早朝からとびかっているにぎやかな声は終日消えることがなく、夜は夜で、酔っぱらいの歌声やわめき声がおそくまできこえて、いったいこの町はいつ眠るときがあるかと思うほどだった。
神戸の中心が三宮附近に移ってから、新開地はさびれる一方なのだったが、浜側のこのあたりは、そういうことに関係なく、働く人びとの熱気でいつもむんむんしていた。
市場の筋が切れると、そこにお稲荷さんがあった。赤い鳥居が幾重にも建っているところなど、いかにも下町の風情だった。
そこから南は、露地が格子もように通っている。つきあたりは港である。港には小さな造船所、船具店、倉庫などが目白押しにならんでいた。海はおびただしいはしけ、タグボートの類で埋まってしまっていた。
露地にかこまれた家々は戦災にあっていなかったので、昔ながらの軒のひくい、ところどころ白壁などの残っているいまどきめずらしい家が多く、古びて、いまにもくずれそうなところは、両隣で支え合っている。つまり、おおかたは長屋なのであった。
長屋には人が住んでいるだけでなく、小さな鉄工所や鋳物工場、製罐工場、また、真鍮だけをけずったり切断したりする工場とも店ともつかない所、ワイヤロープを専門にあつかっている店などがあって、ここにはお化粧のしようのないもう一つのミナト神戸の顔があった。
ふうちゃんは、カーンカーンという鉄を打つ音でいつも目をさました。ずっと昔から、ものごころのつくころからそうだった。ちょっと甲高い、けれどよく澄んだその音は、目覚時計のかわりになった。それを合図のようにして、つぎつぎと雑多な音の洪水になる。
どこかで機械の回る音がすると、その音を追うようにして、また次の音がきこえてくる。なにかのはじけるような音は電気熔接棒がつよい電気で溶ける音で、その音をきくと、ろくさんまた早出やなァと、ふうちゃんは思うのである。片腕のないろくさんは、熔接の遮光面を頭に固定させておいて、少しの力で上げ下げのできるようなしくみを考えている。一本の手なのにろくさんは有能な熔接工だった。
手があったらなあ……と、ろくさんはいかにもくやしそうにいうことがある。ろくさんは三絃(三味線)を弾かせると名人級だったという。三絃を弾きたくて弾きたくて、あきらめきれずに、ついこぼしてしまうグチなのだろう。
遠くの方で犬のうなるような低い音がきこえてくると、それはゴロちゃんが運転するクレーンの動きはじめた音である。ゴロちゃんは一日中、地上から数十メートルはなれた箱の中にいて鉄をつかんだりはなしたり、あきることがないようにみえた。
ひがな一日、あんな小さな箱の中にいてようたいくつせえへんなァ……と、ふうちゃんはゴロちゃんにいったことがある。
「たいくつせえへんなァ。高いところにいると、なんかこう自分が鳥になってしもたような気分やな。どういうたらええか、いつのまにか自分が肉も骨もないただ心だけになってしもとんやな。心だけがのびのび生きとるんやなァ」
「神さまみたいなもんかァ」
「神さまにつきあいはないけれど、神さまになったら、ひょっとすると、そういう気分になるかもしれんなあ」
ふうちゃんは寝床の中でそんなことを反すうしながら、なにかぬくい気持になってごそごそ起き出すのであった。
(後略)

『太陽の子』理論社 17?20P

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