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陳 舜臣

ちん しゅんしん陳 舜臣

  • 大正13~(1924~)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:神戸

作品名

金に換えず

概要

「金に換えず」

陳舜臣

    1
まちを歩いていて、ふと昔なじみの店の看板を見かけたとき、言いようもなくなつかしい気持になることがある。かつては頻繁に通ったが、いつとはなしに行かなくなったこともあれば、なにか理由があって、足をむけなくなったケースもあるだろう。理由があるときは、その理由にまつわる思い出が、看板を見て、よみがえったりする。
いったんその店がなくなって、おなじ場所ではないが、それほどはなれていないところに、何年ぶりかで同じ名の看板を見かけた。自分でもおかしいと思うのだが、なんだか胸がときめいたりした。
『プロイセン』(PREUSSEN)という名の喫茶店のことである。
ごくふつうのコーヒーショップのように見える。その名の店は、五年ほど前にやめたし、じつは私は一度も行ったことがないのだ。だから、昔なじみの店などとはいえない。けれども、私は自分で勝手に、その店になじみがあるとかんじている。
友人の画家大島から、その店の話をきいたとき、私は、
「ああ、あのプロイセンか」
と、うなずいた。
はいったことはないが、その前の道を私はよく通った。文房四宝のコレクターの堀尾氏の住居がそのあたりにあり、私はひところ、コレクションを見せてもらうため、しばしば訪問したものだった。
堀尾氏は私が行くと、きまって電話で『プロイセン』にコーヒーの出前を頼んだ。コーヒーをはこんでくるのは、三十代も半ばと思われる女性だが、顔立ちもととのって、ものしずかなかんじであった。
「どうだ、美形だろ」
彼女が帰ったあと、堀尾氏はそう言った。美形などというのは、いかにも明治生まれの堀尾氏らしい表現である。
(『プロイセン』か。……なんとなく硬派といったかんじだな。クラシック音楽でもきかせる店かな?)
私はそう思ったものだった。
プロイセンとはドイツ帝国の中核であった王国の名である。
ドイツ帝国が連邦体制となったあとも、プロイセン王が皇帝となり、ビスマルクのようにプロイセン首相が帝国宰相となった。オーストリアと戦い(普墺戦争)、フランスと戦い(普仏戦争)、いずれも勝利をおさめた。ウィルヘルム二世や鉄血宰相ビスマルクなどから連想されるのは、軍国主義あるいはウルトラ保守主義のイメージである。およそコーヒーショップの名にふさわしくない硬派のかんじがする。
神戸でも灘区であり、中心の繁華街からはなれている。ものの十五分も歩けば、灘五郷の酒造工場のならぶ地域に出る。
灘の造り酒屋は、何代もつづいた旧家が多く、堀尾氏もそんな酒造業者の一人であった。私が知り合ったころは、堀尾氏はすでに現役を引退して、好きなゴルフとコレクションに明け暮れるといういい身分であった。
芦屋に堀尾家の豪邸があるが、そこを改築したとき、臨時にむかし倉庫の事務所に使っていた家屋に引っ越した。堀尾氏はなぜかそこが気に入って、本宅改築完成後も、
――ここはおれの巣だ。
と、一日の大半をそこですごすようになった。芦屋の邸は山手にあり、いかめしすぎて近寄りにくい。したがって、訪問客もまれなので、堀尾氏にとっては、さびしいのであろう。
家業は息子にまかせ、事業も順調なので、堀尾氏は一切、口出しをしないことにしている。それでも一日じゅう邸のなかにいるのは辛抱できない。自宅と会社のあいだを長年往復した習性は、一朝にして抜けるものではないらしい。私が通った堀尾氏の住居とは、彼の「巣」のほうであったのはいうまでもない。
堀尾氏は造り酒屋の主人であったのに、酒はほとんど飲めない。
――ご先祖が、お酒をつくりすぎて、その報いで、お酒をたしなめなくなったのかな。
と、彼は苦笑していた。酒はだめだが、そのかわりに、みずから「コーヒー飲み」と称するほど、コーヒーを好んだ。
灘の生一本の秘密は「宮水」にあるという。海岸に近い井戸から汲みあげた、かすかに塩分を含んだ水が、酒造りによいとされている。それが宮水だが、ふしぎなことに、宮水はお茶には合わないが、コーヒーにはぴったり合うのだ。
――わたしが宮水を提供しているんです。
と、堀尾氏は言った。『プロイセン』が出前するコーヒーは、宮水を用いているし、その淹れ方も堀尾氏の好みに合うのだろう。
(後略)

『異人館周辺』文藝春秋 80P〜83P

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