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陳 舜臣

ちん しゅんしん陳 舜臣

  • 大正13~(1924~)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:神戸

作品名

夾竹桃の咲く家

概要

「夾竹桃の咲く家」

陳舜臣


神戸再度山修法ヶ原に外人墓地があり、外国からときどき縁者が墓参に来る。新聞にもそれにかんする記事がのることがある。祖父母の墓とか、ときには曾祖父母の墓を訪ねてというケースもあるようだ。航空機の発達によって、外国旅行が容易になったことも、縁者に墓参を思い立たせるのであろう。
墓参とちがって、最近目につくのは、かつて神戸に住んだことのある外国人が、何十年ぶりかで再訪する例である。太平洋戦争の勃発する直前、昭和十六年前半に、大量の外国人が帰国した。日本との外交関係が緊張した英米系の人たちだけではなかった。在留外人は、貿易など外国関係の仕事にたずさわる者が多かったが、事実上、そんな業務はほとんどできなくなっていた。やはり帰るほかなかったのである。
四十五年たっている。そのときに二十五歳だった人は七十になっているはずだ。青春の地を、死ぬまでにもう一度見たいというのは、洋の東西を問わず、人間の根源の願望の一つであろう。
自分では行けないが、子や孫に託して、神戸のまちを見て、むかし住んだあたりを、カメラに収めさせる話もある。娘の新婚旅行に日本をえらばせ、神戸のアドレスをもたせた親がいた。娘はそのアドレスを新聞社にもちこみ、ほほえましい記事になった。空襲と高度の経済成長によって、まちのようすは大きく変わり、撮った写真をみても、親は首をかしげるにちがいない。
ShinjiOmiyaという人を知らないかと、知り合いの記者から電話で訊かれた私は、即座に、それは大宮伸治のことだとおもうが、彼は戦争で死んだよ、と答えた。
戦前からその土地に、ひきつづいて住んでいる家はすくなく、いたとしても代がかわっている。それに大宮伸治はもともと東京育ちで、たまたま関西の大学にはいったので、母方の叔父の家に下宿していたのだ。叔父の姓は島村だから、記者がいろいろ調べてもわからなかったのは無理もない。
――あなたが、そのころ、あのあたりに住んでいたのを思い出して、おたずねしたのです。もっと早く思い出しておればよかったんですが。
と、その石崎という記者は言った。
――大宮さんについて、なにかあるんですか?
私はそう訊いたが、じつは思いあたることがあった。それは石崎の問い合わせが、ローマ字綴りだったからである。大宮は英文科の学生だったが、近所のアメリカ人から個人的に英語を習っていた。バーンズという人で、その一家も太平洋戦争直前に帰国した。
私が大宮と親しくなったのは、彼のところにOED(オックスフォード英語辞典)十三巻がそろっているのを知ってからである。それまでは、近所に住む学生同士ということで、会釈をするていどであった。
――これが我が家の圧巻だよ。
と、彼はOEDを自慢にしていた。亡父の蔵書であったという。中学時代に、彼は両親をつづけて亡くした。そういえば、彼にはどことなくさびしそうなところがあった。
週に一度か二度、私は彼のところへ行ってOEDを利用した。学校の図書館を利用するよりは、ゆっくりできたのである。英語を通じてのつき合いなので、彼はアメリカ人から個人教授をうけていることも話した。それがバーンズ氏だときいたが、近くに住みながら、私はその一家を知らなかった。ある日、彼と二人で山本通を歩いていて、五つか六つの可愛い外人の女の子と会い、彼が「メリーちゃん」と呼ぶと、その子は恥ずかしがって逃げた。
――バーンズさんのところのお嬢さんだ。
と、彼は教えてくれた。私とバーンズ家との関係は、それだけにすぎない。まもなくバーンズ一家は帰国したのである。
大宮は昭和十七年に大学を出て、海軍予備学生となった。通信将校であった彼は、どうやら終戦間際に艦と運命をともにしたらしい。終戦の前年の夏、大宮は中尉の襟章をつけ、私の家に立ち寄ってくれた。私たちは山本通から北野町のあたりを散歩したが、
――もうこれで会えないだろう。
と、彼は言った。心細いことを言わないでくれ、と言うと、
――いずれにしても、ぼくは生きてはおれない身だよ。
と、さびしげな笑いをうかべた。塀越しに夾竹桃の花がのぞいている家の前で、大宮は足をとめて、
――ここがバーンズ夫人の家だった。
と、呟いた。そして、なにを思ったのか、ポケットから紙に包んだものを取り出して、
――ここで、きみにこれを預ける。いや、形見だよ。……なにもそんなに深刻な顔をすることはない。ぼくはもう思いのこすことはなにもないんだ。この世に生をうけて、いい人にめぐりあい、これ以上望むと、罰があたるよ。……
(後略)

『異人館周辺』文藝春秋 106P〜109P

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