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陳 舜臣

ちん しゅんしん陳 舜臣

  • 大正13~(1924~)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:神戸

作品名

蟹の眼

概要

「蟹の眼」

陳舜臣


去年の九月の半ばごろ、私は元町を歩いていて、思わず足をとめた。カメラ店のショーウインドーから顔をあげてこちらをむいた人物に、見おぼえがあるような気がしたのだ。(蟹の目玉。……)
私はそう呟いた。子供のころ、私たち兄弟がそんなニックネームをつけた人物に、じつによく似ていたのである。
おなじ神戸というまちに六十年あまりも住んでいるので、通りを歩いていると、ときどき見おぼえのある顔に出会う。顔見知りとまでは言えない人もいる。顔見知りなら、相手もこちらを知っているはずだが、こちらが一方的に、それもきわめてあやふやに憶えているような気がするケースが多い。いったいどこで会ったのか、なんという名前だったのか、どうしても思い出せなかったりする。
同年輩の相手なら、まず小学校時代の友人ではないかと考えてみる。三宮や元町を校区とする小学校に通ったので、そのあたりで出会う見おぼえのある顔は、その可能性が濃いのである。同級生なら、たいていかなりはっきりおぼえているが、クラスがちがうと記憶があやしくなってくるのだ。ときには、どちらも、「お、お……」と声をかけあい、手を振りあい、「元気だね」と、すれちがうが、どうしても名前を思い出せないこともあった。見おぼえがあると思っても、それがただの思い違い、「他人の空似」だったこともあるだろう。
(それにしてもよく似ている。……)
その人物が立ち去ったあと、私はもういちど呟いた。
他人の空似であることは、あまりにもあきらかであった。なぜなら、私たちが蟹の目玉と呼んでいた人物は、祖父の友人だったのである。我が家の位牌に収められている紅い布には、祖父は同治癸酉(一八七三)に生まれ、昭和壬申(一九三二)に卒したとしるしてある。清朝治下の台湾に生まれたので、生年は清の元号だが、かぞえ二十三のとき台湾が日本に割譲され、歿年は日本の元号でしるされたのだ。父は日本の台湾領有の翌年に生まれたが、四十八のとき、終戦によって台湾は中国に復帰した。晩年、父は「これからは、みんな西暦で表記してもらいたい」と言っていたので、そのとおりにしている。
祖父が生きておれば、百十五歳であり、蟹の目玉は祖父よりいくらか若かったようだが、それでもカメラ店のショーウインドーをのぞいていたのが彼でないことはまちがいない。生きておれば九十をこえている父が、蟹の目玉を「おじさん」と呼んでいたのだ。
なぜ蟹の目玉の顔をよくおぼえているかといえば、ある時期、ほとんど毎日のように我が家に来ていたからである。私の祖父は五十をすぎると隠居して、字をかいたり、篆刻をしたりしていた。ひまだったのだ。蟹の目玉は、絵描きで、祖父とはウマが合ったらしい。

後年、私はこの蟹の目玉の名前を知ろうと、華僑の長老たちにたずねたことがある。「ほら、あの絵を描いていた……蟹の絵ばかり描いていた人……」と訊いても、誰も知らない。
――神戸にいた中国人の絵描きといえば、胡鉄梅だけじゃないかな?ほかにいたとしても……無名の人だろうね。
文化方面にも関心のある先輩でさえ、そう言って首をかしげたのである。察するにアマチュアであり、絵を売って生活していたのではないらしい。おかしなことに蟹ばかり描いて、我が家で描くと、それを置いて行ったものである。祖父はそれをもらっても、べつに大切にしまいこむのでもなかった。本棚の下の引出しに、無造作につっこんでいた。
我が家の大人たちは、このアマチュア絵師の名を呼んだにちがいないが、私はいっこうにおぼえていない。蟹は眼柄をもち、その先端に目玉がついているので、とび出したかんじである。無名の絵師も、いくらか目がはれぼったいかんじだったが、出目金というほどではなかった。それにもかかわらず、私たちが彼を蟹の目玉と呼んだのは、彼が蟹ばかり描いていたからでもある。蟹の目玉とは、私たち子供が大人にかくれて呼ぶあだ名であり、大人たちは大人たちで、絵師のいないところでは、「エンタウ」と呼んでいた。このことばはもうすこし大きくなってからわかったが、台湾でハンサムを意味するものなのだ。由緒正しいことばではなく、きちんと漢字をあてはめることができないようだ。苦しまぎれに、「縁投」という字をあてはめることもあるらしい。女には用いずに、男だけに用いる。美男子という意味から、「若い燕」という意味が派生している。ただし、私たちが知ったころの蟹の目玉は、五十前後だったとおもわれるから、そのニックネームはただの美男子という意味であろう。
(後略)

『異人館周辺』文藝春秋 32P〜35P

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