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しらとり しょうご・せいご白鳥 省吾

  • 明治23~昭和48(1890~1973)
  • ジャンル: 詩人
  • 出身:宮城県築館町

作品名

しんしんとろりの酒蔵

概要

酒の乏しい時は空に敵機の飛ぶ下でも、配給の酒を買うために行列したというほど酒は魔力あるものだが、今では宴会などでは盃の献酬で、盃が立ち並び「ボーフラが湧きますよ」などとガブ呑みをしている人が多い。
私は上等の酒を少量のみたい。献酬はきらいだが数人以上の会では、むげに拒絶するのも礼を失するように思われ勝ちである。宴会ではどんな酒が出るやら、きわめて行き当りばったりである。
悪い酒は頭に来るというが、確かに悪い酒をのむと極めて不快な悪夢に襲われる。
それにつけても或る春に始めて灘の酒を見学したことが忘れられない。芦屋市に住んでいる吉沢独陽君に誘われて「白鶴」の酒倉に行った。三十石づくりの酒樽が五十本並んでいた。その倉の一隅で番人をしている崎山氏の宅で、その「白鶴」の御馳走になったのである。湯呑の底に藍色の渦を書いたもので呑んだのであるが、どんな酒豪の者でも三杯呑むとすっかり酔ってしまうらしい。仲間で酒に強い者も陶然と眠くなり、ストーブに倚りかかり、一張羅の結城袖を焦がしてしまった。
御馳走になったあとで外に出ると、折から満月が灘の波間から躍り出たことも忘れられない。
季節は三月十七日、酔顔を吹く春風はこの上もなく快い。
酒倉の間の小路や春の月
浜に干す酒桶照らす春の月
大桶の並べる浜に白鶴の酒蔵訪えば春の月出ず
覚めて寝て大桶の中を家とせむ春の日永に秋の夜長に
とんだダイオゼネスである。しかし、いかにのんでも酒樽生活は数日で参ってしまうだろう。
このことあって十数年を隔てて、昭和二十五年二月二十日に、やはり吉沢氏の案内で灘の酒倉「福寿」と「剣菱」とを二日に亘って見学した。
この時は酒倉の薄明のなかにテーブルを据えて、浪花名物の蒲鉾で、しんしんとろり酒をしぼるその滴を柄杓に受けて御馳走になった。同行の富田砕花君に嘗て作あり、
しんとろりこはくのいろの滴りの澄めば澄むもの音のかそけく
はその気分をよく現わし得ている。酒の妙味はアマ(甘)、カラ(酸)、ピン(苦渋)であるという。この要素を渾然と具えているのを上酒という。人間も甘過ぎず辛すぎずガミガミ過ぎぬのがよいのであろう。人々の風格もこんなものであろう。
春の宵銘酒福寿に酔い痴れて友と語れば海も凪ぎけり
春の海のたりのたりと梅咲ける宵にほろほろ福寿に酔えり
翌日に見学の「剣菱」の酒倉は「福寿」よりも倍ぐらい大きく落ちつきがあった。梯子にのぼって四十石入の酒蔵の醗酵状態を次から次と見た。なんでも一樽の分量は一日に三合ずつ呑んで一人で三十年かかるということだ。呑兵衛といっても高が知れたものだと、他人の酒倉で俄かに気が大きくなる。
「剣菱」は頼山陽の愛用した酒だという。頼山陽と雖も今日の文化人からすれば大した収入がなかったことは、その潤筆料などを当てにしたことからでも知られる。「兵は用うべし、酒は酔うべし」と吟じ、当時皇室の式微甚だしかった。公卿等は酒は酢いものと思っていたということで、山陽に献ぜられた灘の銘酒の味いには驚いたという話さえある。この「剣菱」は藤田東湖も詩に作っている。
春浅き日影もうれし剣菱の酒しぼる音ききつつ酔えば
麦は青いし 菜の花咲くし 酒は剣菱 春ごころ
まことにいい気なもので、ほろほろと酔うて急行で帰京した。

『兵庫県文学読本 近代篇』のじぎく文庫40?42P

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