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島崎 藤村

しまざき とうそん島崎 藤村

  • 明治5~昭和18(1872~1943)
  • ジャンル: 詩人・小説家
  • 出身:長野県西筑摩郡山口村

作品名

山陰土産

概要

城崎附近を流れる豊岡川は、円山川ともいふ。案内記によると、この川の上流は円山川、下流は豊岡川としてあつて、地図にもそのやうに出てゐるが、土地の人達はやはり下流までも円山川と呼んでゐるのは、その名に親しみを覚えるからであらう。河口から入つてくる海の潮は、その辺から豊岡あたりまでもさかのぼるといふ。私達が岸に沿うて出て行つた時は、真水と潮水のまじる湖水の上にでも舟を浮べた心地もした。朝から暑い日で、私達は舟の日よけのかげに寄り添ひながら乗つて行つた。七月の日の光は水の上にも、蘆の茂る河の中洲にも満ち溢れてゐて、涼しいものと暑いものとが私達の目にまじり合つた。舟から近く見て行く青い蘆の感じも深い。私は鶏二の方を見て言つた。
「これはいゝところだ。父さんはかういふところが好きさ。」
「僕も好きだ。」
と鶏二も言つてゐた。これが発動機でなしに、ゆつくりこいで、行く艫であつたら。
「ほんたうの河の味は、どうしたつて艫でなければ出ませんね。」
と私達に言つて見せる油とうやの若主人の言葉もうなづかれる。水明楼の跡といふのは城崎から三四町のところにあつた。徳川時代の儒者、柴野栗山が河に臨んだ小亭の位置を好んで、その辺の自然を楽しんだ跡と聞く。今は鉄道工事のために取り払はれて、漢詩を刻した二つの古い石碑まで半ば土に埋められたままになつてゐるのも惜しい。私達はその岸に残つた記念の老松を見て通り過ぎた。中洲について一回りすると、さながら私達は石濤和尚が山水冊中の人でもある。私はまた葦舟に乗せて流し捨てられたといふ水蛭子の神話を自分の胸に浮かべて、あの最初の創造といひ伝られたことを、かうした水草のかげに想像したいやうにも思つた。
海のものも河のものも釣れるといふやうな河口の光景は徐々と私達の眼の前にひらけた。波をきざんで進んで行く発動機の音もさほど苦にならない。私達は船の上にゐながら、そこに青い崖がある、ここにも古い神社がある、と数へながら乗つて行くことが出来た。かなたの河口へ突出した陸つづきには、古墳でも隠れてありさうなこんもりとした森が見えて、さうした名もないやうな土地の一隅までが、古い歴史をもつた山陰らしい感じを与へる。
「もう一度もかういふところへ来て見る折があるだらうか。鶏ちゃんは若いから、あるだらうが、父さんにはどうかナ。まあ、よく見てゆくんだね。」
と私は鶏二に言つて見せなどして、同行の人達と一緒に津居山湾の望まれる河口へと出た。
瀬戸も近かつた。
漁村の岸のところに着いて、一行五人のものは船から上つた。橋がある。その橋一つを境にして橋から先は津居山村、橋の手前が瀬戸にあたる。瀬戸は山をひかへ、水にのぞんで、漁村として好ましい位置にあつた。津居山湾の方へとつづいた水は、その辺で静かな入江のやうな趣を見せてゐた。
久しぶりで見られる海が待つとでも思わなかつたら、私達もこんなに勇んで、暑い日あたりの道は踏めなかつたかも知れない。瀬戸から日和山へかけては、この雨の少ない乾いた梅雨期でなしに、他の季節を選んで、もつとゆつくり歩いて見たらばと思はれるやうなところだ。日は次第に高くなつた。鏡のやうに澄んだ水は私達が踏んでゆく岸の右手に見られても、照りつける烈しい反射にさまたげられて、ゆつくり立ちどまる気にもなれなかつた。逃れるやうにして、私達は日和山のふもとに着いた。そこから樹かげの多い坂道を登つたが、路傍に息づく草の香も実に暑かつた。
(後略)

『兵庫県文学読本 近代篇』のじぎく文庫 145?148P

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