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兵庫ゆかりの文学

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木山 捷平

きやま しょうへい木山 捷平

  • 明治37~昭和43(1904~1968)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:岡山県

作品名

出石城崎

概要

(前略)
その女の名前は柚木ナミと言うんだがね。この名前は君の耳にどういう風に響くかな。実はどう贔屓目に見ても美人の部には入らないんだが、この女に僕は十年近く灰かな恋心を感じて過して来たのだ。と言っただけでは分らないが、大正十二年の春鳥取の中学を卒業すると直ぐ、僕は色色家計の都合もあって但馬の出石という町に代用教師となって行ったのだ。
出石というのは城下町ではあるが、戸数は千軒にも足りない小さな町だ。昔、山名慶五郎氏政が城を築いて以来、明治初年に至るまでは相当殷賑を極めたものだそうだが、明治九年の大火災以来段々さびれてしまったと言うことだ。その上、その後山陰地方にも鉄道が敷設されることになった時には、土地の有力者が極力奔走した運動が効を奏して、山陰本線ははるか数里の彼方を走っているという始末で、時代に取残されたような軒の低い家が、「あちら向いてもヤアマ山、こちら向いてもヤアマ山」と言う古謡そっくりな盆地に、支え合うように軒を並べていた。
町の真中を一条の川が流れて、土地の人は出石川と呼んでいた。たいして大きい流れではなかったが、橋の上から眺めると何時も川底の小石が水の上に泛んだように綺麗に澄んで、川魚の上り下りする姿までがはっきり見えるのであった。
けれどもその頃の僕にとって、そんな町がぴったりとそぐう筈はない。昔、藩校のあった跡に建っている、古風な小学校の石門をくぐる度に、思わず太い溜息が出た。学校には教師が十八人いた。その姓名が職員室の壁に月給順にぶら下っていた。僕はその十七番目であった。十七番目に代用教員末川大吉と書いた木札がぶら下り、その次にもう一つ代用教員柚木ナミという木札がぶら下っていた。僕は何より先ず柚木ナミなる木札に親愛を感じた。十七番目の木札と十八番目の木札とが仲よく話でもしているかのように思われた。そしてそれは木札ばかりではなく、下駄箱も帽子掛も机までが誰かれの最後に二つ仲よく並んでいた。しかも僕は尋常三年生の男生を、彼女は尋常三年生の女生を、受持つことに決められたのであった。

(中略)

さて、僕は君も知っているとおり、この夏休みに田舎へある女と見合をするために帰らされたんだが、その途中、ひょっくりその出石の町へ立寄って見たのだ。京都で山陰線に乗り替え、汽車が山の中へ入って行くにつれ、僕は今度見合をする女の顔やその場面を想像していると、自分も最早や青春の日を失って家など持つようになったのかと妙な気になり、二十の頃の当てもない希望に燃えていた自分が懐かしくなり、ふらふらと立寄って見る気になったのだ。いや別に彼女に逢いに行こうなどと言う殊勝な量見は毛頭なかったのだが。――
江原という駅から乗合自動車で凸凹の道を出石の町に着いたのはもう夕暮に近かった。僕はわざと町はずれで車を降り、出石川の土手に沿うた長い松畷を歩きながら、十年前の自分の姿を思い起した。ただ一人知る辺もないその町に初めて赴任して行った時、一抹の不安に怯えながら其の道を歩いて行ったものだが、その時と同じように松の畷がごうごうと風もないのに鳴っていた。
町の様子は殆ど十年前と変ったとも思われず、古ぼけた看板や暖簾が昔そのままに低い軒先にぶら下っていた。その中には又、昔と同じ品物が、何の数奇もなく昔の陳列そのままに並んでいた。それ等は僕の十年間の転変に比べてこんなにも静かにそっとしていられたものかと、寧ろ不思議な気がする位であった。
が、僕は町を歩きながら、間もなく其処に住んでいる人達の心は、最早や自分からは遠く離れてしまっていることに気付いた。なるほど其処の店先、此処の帳場に見覚えのある顔が覗いてはいた。町角の髪床の小父さんは昔と同じ恰好で同じ椅子を土間に並べて客の顔を剃っていた。が、彼等は僕の姿をちらと振向いても何の記憶の反応もないらしく、そのまま俯向いて仕事を続けた。僕の方から何か声を掛けて見たいほどの親しさは湧いては来ないのだ。
「一体、自分は何をしにこの町にやって来たのだろう」
僕は悔いに似たものを覚えた。過去十年生活の苦悶の間間に胸に描いて来た出石の町は、こんな疎遠な町ではなかったのに。十年前の夕方など、僕が町を歩くと教え子達が腰の辺りにうるさい程纒いついて来たものであったのに。町の小路で花火を弄んでいる子供連の顔は、もはやお互いに何等知る由もない、僕がこの町を去ってから生れた子供達であった。そのとりつく島もない時の推移の侘しさは、一切合財が空になってしまったような虚しい想いを起させるのであった。
文字どおり、日暮れて途に窮した形であった。当時親しかった村井は、前にも言ったように十里も山奥の学校に追いやられていた。僕はしばらく考えあぐねた末、川端の宿屋の薄暗い軒燈をくぐってはいったのである。そうして僕はまるで見知らぬ土地に来た旅人の心になり、ひとりで銚子を三、四本傾けると、ほろ酔い心地でうす汚ない寝床の中に横たわったのである。
(後略)

『木山捷平全集 第一巻』講談社 134、135、142、143P

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