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兵庫ゆかりの文学

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三木 清

みき きよし三木 清

  • 明治30~昭和20(1897~1945)
  • ジャンル: 哲学者・評論家
  • 出身:龍野

作品名

読書遍歴

概要

今日の子供が学校へも上らない前から既にたくさんの読み物を与へられてゐることを幸福と考へてよいのかどうか、私にはわからない。私自身は、小学校にゐる間、中学へ入つてからも初めの一二年間は、教科書よりほかの物は殆ど何も見ないで過ぎて来た。学校から帰ると、包を放り出して、近所の子供と遊ぶか、家の手伝ひをするのがつねであつた。私の生れた所は池一つ越すと竜野の町になるのであるが、私は村の小学校に通ひ、その頃の普通の農家の子供と同じやうに読み物は何も与へられないで暮して来た。父の代になつてからは商売はやめてしまつたが、今でも私の生家は村でも「米屋」と呼ばれてゐるやうに、その時分はまだ祖父が在世してゐて、米の仲買をやり小売も兼ね、またいくらか田を作つてもゐた。村の人々と同じに暮して目立たないことが家の生活方針であり、私も近所の子供と変らないやうに躾けられた。中学に通ふやうになつても、私はつとめて村の青年と交はり、なるべく目立たないやうに心掛けた。私は商売よりも耕作の手伝ひが好きであつた。つまり私は百姓の子供として育つたのである。雑誌といふものを初めて見たのは六年生の時であつたと思ふ。中学の受験準備のための補習の時間に一緒になつた村の医者の子供が博文館の『日本少年』を持つてきたので、それを見せて貰つたわけである。私はそんな雑誌の存在さへも知らないといつた全くの田舎の子供であつた。町へ使ひに行くことは多かつたが、本屋は注意に入らないで過ぎて来た。今、少年時代を回顧しても、私の眼に映つてくるのは、郷里の自然とさまざまの人間であつて、書物といふものは何ひとつない。ただあの時の『日本少年』だけが妙に深く印象に残つている。その頃広く読まれてゐた巌谷小波の童話の如きも、私は中学に入つてから初めて手にしたのであつた。田舎の子供には作られた夢は要らない。土が彼の心のうちに夢を育ててくれる。
かやうな私がそれでも文芸といふものを比較的早く知つたのは、一人のやや無法な教師のおかげである。やはり小学六年のことであつたと記憶する。受持の先生に竜野の町から教へに来てをられた多田という人があつた。この先生はホトトギス派の俳人であつたらしく、教室で私ども百姓の子供をとらへてよく俳句の講釈を始め、遂には作文の時間に生徒に俳句を作らせるほど熱心であつた。或る時私の出した句が秀逸であるといふので、黒板に書いて皆の者に示し、そして高浜虚子が私と同じ名の清だから、私も虚子を真似て「怯詩」と号するがよいといつて、煽てられた。号といふものを附けて貰つたのはこれが初めでまた終りでもあるので、今も覚えてゐる。この先生によつて私は子規や蕪村や芭蕉の名を知りその若干の句を教へられた。『ホトトギス』といふ雑誌は、中学の時、いはゆる写生文を学ぶつもりで暫らく見たことがある。
                      ○
私がほんとに読書に興味をもつやうになったのは、現在満洲国で教科書編纂の主任をしてをられる寺田喜治郎先生の影響である。この先生に会つたことは私の一生の幸福であつた。確か中学三年の時であつたと思ふ。先生は東京高師を出て初めて私どもの竜野中学に国語の教師として赴任して来られた。何でも以前文学を志して島崎藤村に師事きれたことがあるといふ噂であつた。当時すでに先生は国語教育についてずゐぶん新しい意見を持つてをられたやうである。私どもは教科書のほかに副読本として徳富盧花の『自然と人生』を与へられ、それを学校でも読み、家へ帰つてからでも読んだ。先生は字句の解釈などは一切教へないで、ただ幾度も繰返して読むやうに命ぜられた。私は蘆花が好きになり、この本のいくつかの文章は暗誦することができた。そして自分で更に『青山白雲』とか『青蘆集』とかを求めて、同じやうに熱心に読んだ。冬の夜、炬燵の中で、暗いランプの光で、母にいぶかられながら夜を徹して『思ひ出の記』を読み耽つたことがあるが、これが小説といふものを読んだ初めである。かやうにして私は盧花から最初の大きな影響を受けることになつたのである。
私が蘆花から影響されたのは、それがその時まで殆ど本らしいものを読んだことのなかつた私の初めて接したものであること、そして当時一年ほどの間は殆どただ蘆花だけを繰返して読んでゐたといふ事情に依るところが多い。このやうな読書の仕方は、嘗て先づ四書五経の素読から学問に入るといふ一般的な慣習が廃れて以後、今日では稀なことになつてしまつた。今日の子供の多くは容易に種々の本を見ることができる幸福をもつてゐるのであるが、そのため自然、手当り次第のものを読んで捨ててゆくといふ習慣になり易い弊がある。これは不幸なことであると思ふ。もちろん教科書だけに止まるのは善くない。教科書といふものは、どの教科書でも、何等か功利的に出来てゐる。教科書だけを勉強して来た人間は、そのことだけからも、功利主義者になつてしまふ。

『兵庫県文学読本 近代編』214?217P

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