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兵庫ゆかりの文学

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阪本 勝

さかもと まさる阪本 勝

  • 明治32~昭和50(1899~1975)
  • ジャンル: 作家・評論家・政治家
  • 出身:兵庫県尼崎市

作品名

わが牧歌

概要

摂州尼崎藩は何を特色としていたかと問われれば、文教を尊ぶ藩風にあったとわたしは答える。
しかしこのことは、一部の学者をのぞいて全国的にあまり知られず、平凡な四万石(正しくは四万七千石)の小藩として廃藩置県をむかえるにいたった。旧藩士の後孫として生れたわたしとしては残念なことだが、昭和二十九年に市内大覚寺の長老、岡本静心師がわれわれの願いをいれて公刊された名著尼崎藩学史において真実を明らかにしてくださったことが、せめてものなぐさめである。
最後の藩主は松平忠興といい、廃藩後は尼崎県知事となり、姓を桜井と改め、現主桜井忠養氏におよんでいる。桜井神社の例祭には東京からお帰りになって参列され、わたしたち旧藩士の子孫も末席をけがすならわしになっているが、時代の移りかわりがさわやかな感傷となって、なかなかに心たのしいものである。
しかし尼崎という土地は、稗史や伝説の上では古来有名で、きっすいの尼っ子の自慢話はなかなか多い。古くは源義経と静御前、近くは太閤さんについてのいいつたえは、ひろく大衆に知られている。
わたしの生家の裏に義経旅宿跡の碑が建っていた。義経一行が西国へ逃れようとして船出した大物ヶ浦というのはこのへんのことである。源平のころこの碑のあたりに船宿があり、一丁余南の仮橋(着船橋ともいう)から船出したことは史実としてもみとめられている。
わたしはこの大物ヶ浦の片隅で、明治三十二年十月十五日に生れた。亥の年であったから、ことしで六回目の干支にめぐりあうわけである。西暦では一八九九年にあたるから、十九世紀の最後を飾った――おっとどっこい、最後をけがした人間の一人である。
わたしの父・阪本準平は、明治元年四月八日、この城下に生れた。生家は大物でなく、名刹本興寺近くの士族屋敷であった。父が家祖伝来の阪本家譜に自分の筆で書き足した文章には、自分の母についてこうある。
「母幾枝。阪本宣内ノ室ニシテ灘深江村阪口玄泉ノ娘ナリ。三男二女ヲ生ム。宣内死後独リ家政ヲ修メ、準平業ヲ興スニ当ツテ大ニ力アリ。家ヲ修ムルニ勤倹、子弟ヲ愛撫スルコト多年一日ノ如ク、其病ヲ得ルニ至ルモ、尚家政ヲ顧指シ、身大恙アルヲ知ラザルが如シ」
すなわち、わたしの父方の祖母は深江の阪口家からきた女性である。深江というのは、いまの神戸市東灘区本庄町深江のことで、当主は阪口磊石といい、本年九十三歳の高齢で悠々としてござる。亡父の従兄弟にあたるわけだ。
父方の祖母については、何もかもはっきりしているし、わたしにもたしかな記憶があるのだが、祖父についてはさっぱりわからない。父からきいたこともほとんどない。
ただ一つ話してくれたことは、おそろしく背の高い人で、庭先にいると頭が塀の上に出るので、通りがかりの人があきれ顔で挨拶したものだという。話にすこし誇張があるにしても、のっぽんだったのはまちがいないだろう。
この祖父と祖母とのあいだに何人子供が生れたのだろうか。これはちょっと興味ある問題だが、父自身が書き入れた家譜によると、じつに三男二女が生れている。
むかしの人のいのちははかないものだったなあ、とわたしはおりにふれてため息つくのだが、父も五人兄弟でありながら、けっきょく残ったのは自分ひとりだけだった。長男福之亮は三歳で夭折、長女藤野は二十六歳の女盛りで死亡。次女は死産。
尼崎寺町の菩提寺如来院にゆくと、露散孩嬰童女とか、寥眠孩児とか、春暁孩児とか彫った墓がのこっているが、みな小さくあわれで、わたしはつい気が滅入って、やけくそに水をじゃぶじゃぶかけてやる。
次男文次、つまり父の実兄は文久三年(一八六三)の生れである。父の述懐によると、これはなかなかの秀才だったらしく、大阪の名儒・藤沢南岳の門下生として前途を嘱目されたが、十七歳の若さで世を去ってしまった。三男として生れたのがわが父準平である。
この父の妻、すなわちわたしの母については、あとでのべることとして、まずわたしが知りたいのは、いったいわたし自身に兄弟姉妹が何人あったかということである。これにはちょっといいわけが要る。わたしはながいあいだ、このことについて調べようと思いながら、つい怠けて今日になってしまったので、こんどこの稿を起したのを機会に、すべてをはっきり知りたいと思い立ったのである。血をわけた兄弟のことをくわしく知らず、永年過ごしてきたことは、まことに申訳ないことで、合掌して両親にあやまるよりほかはない。


『阪本勝著作集第三巻』阪本勝著作集刊行委員会 P.47?49

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