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兵庫ゆかりの文学

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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

童話の天文学者

概要

科学的幻想を語る作家としての私に手紙をくれた最初の一人が、M・Nであった。用件は、私の創作した海外著述に関する質問であったが、この読者にかかれた小説がやがて私の手に届いた。神戸のたそがれどきに、山手の迷路の奥から、映画劇「カリガリ博士」に現われる夢遊病者セザレに似た黒ずくめの扮装の「黒猫」及び、絹帽をかむってドレスコウトの襟に新月章を光らせたやはり仮面の「三日月」こんな両人物が立現われて、街頭やホテルで奇抜ないたずらをやる。風説は拡まったが結局、人間も自動車も街路樹もみんな眼に見えぬ魔法の糸につなぎ通して、自身は山の向うへ逃げてしまうトワイライトの神秘だ、とするのほかはなかった。
――こんなすじのものであった。ドイツローマン派を現代情緒で色上げしたM・Nの気稟に、私は同族を感じたものである。が、ここで我党の芸術理論を述べようとするのでない。私は、神戸市の一部で最近注目すべき出来事として伝えられている、広島高等学校理科一年M・N君、すなわち先の物語の作者によって現実に経験された幻覚事件を告げれば足りるのである。瘋癲病院長の人形騒動を夢想しがちな青年が、神戸の一夜、現実と夢幻とのあいだに介在する形而上学的遊園にまぎれこんで、白髯緑衣の天文博士と対面したと云えば、何と受取られるか知ら? 現に始終をもって一学徒の酔狂だときめる者に当事者の伯父がある。前夜のM・N君が卓上の壺を三毛猫と取りちがえたことから、それと同様の錯覚だと解釈するのはM・N君の義兄である。そうしてみると、われわれにも、当夜初めて神戸のエキゾティクな界隈をうろつき廻った空想家が、ガス燈の光に魅せられて見たところの幻影だ、ときめてよいかも知れない。しかしここにA社神戸支局のT君がいる。――幽霊屋敷をたしかめに出かけた豪傑の前に何事も起らなかったからと云って、それは或る種の超自然的現象を否定する理由にはならぬ、と同君は説く。その豪傑の上には受信機などという精緻な装置が期待されなかったわけである。――かつて評判になった北野町の異人館の怪にたいする意見を新たにして、T君は今回も過分の紙面を費して、本社から注意を受けたほどであった。これ以外に、M・Nをつれて東大心理学教室におもむいた人がいる。広島高等学校のN教授である。T君によれば、同校の化学教授S氏、前記二教授の先輩である東大のI博士もこのことに多大の関心を持っていると云うから、近いうちに、われわれには何か具体的な報告がきけるかも知れない。で、私は本すじに立戻らねばならぬ。しかし私は当時在京中のため、行きちがいとなって主人公にまだ会っていない。そうは云いながら、義兄が神戸へ転任したために憧れの街を歩くことができたM・Nが、坂道から眼にうつした花火の元へ近寄ろうとして、……ふしぎな露路から、整然とガス燈が点った清澄な洋風の路上に突出され……行っても来ても走馬燈のように同じ所がくり出されてくる、猫の子一匹の姿もない界隈のかなたの高所に緑色の燈影をみとめ……その丘上の円屋根の内部で白髯の天文学者と対座するに至った径路は、つまり風変りなセットの説明以上のものではない。で、私は、いずれの記事にも扱ってない、M・Nの前における天文学者の口説を、一夕、T君から、ノウトを傍えに置いて聞かされたままに、綴ってみようと思う。
「ここ(原本では傍点がうたれている)は地球上のどこでもない。が、同時にどこにも在って、行こうと思えば何人も行ける所である。そして私は現実の世界に或る奇妙な滋味――夢の結晶とでも云うべきものを提供しようとしている一学究にすぎない」――こんなところから天文学者は、かれの「薄板説」をM・N君に向って説き出した。
(後略)

『稲垣足穂全集 第2巻』筑摩書房 177〜179P

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