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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

二十世紀清談

概要

神戸の東はずれにある中学校の庭から六甲山の中腹にあるお城のような白い建物が見え、毎日のようにそれをながめる私は、――その建設者である大谷光瑞氏のような雄図を考えたり、そんな山上の宏壮な住いに少年の供をつれ、ローマ人のきるようなガウン姿にアビニシャ風のパイプからのぼる青いけむりを見つめてみたいとか考えていたものです。が、その二楽荘も今は住む人なく風につけ雨につけてかさなる修繕費が莫大なのでこわされてしまいました。他の何事もがそうであるように、ファンタスチックなどいうこともそれ自身を表わし、永遠に対するあこがれだとかいう理屈はつけられているものの、私たちの現実にうつしてみればやはり一つのやっかい物以上ではないようです。経営にあたって必要な係数がまだ充分私たちのあたまに考えられぬせいでしょうか、対象そのものが実在に対して一つの皮肉に留まる性質なのによるのでしょうか、それにもかかわらず私たちは考えられないことを考えてしまおうとし警告の意味しかもっていないものをつかまえてもみんなをそこへ投げこまねばならぬようにあせり、そしてこれはおそらく、そんな私たちをのせてころがっているかの女――地球の場合にしたって同じかもしれぬのです。
しかし近頃私はときめく女優を妻にして古城に莫大な借金に苦しめられながらも生活したというイタリーの詩人のようなことは考えません。どんなにお金があってもそんなことは今日では根拠のない夢にすぎぬと思うのです。むろん私の気質にもよるのでしょう、外交官志願の友に払い下げの軍艦を住いにしたいなど云ってるのがありますが、これなんかその男の日常を知っていると別におかしくありません。この男は軍艦を躍進的なそしてきっちりした生活のシンボルだと解釈しているらしいのです。そう云えばこの間東京天文台へ出かけ、バベルスブルグにあるのを真似したという望遠鏡室へはいってみましたが、案内役の辻氏というのがスイッチを入れるとゴトゴトゴトというダイナモのうなりと一しょに、子午線に向かっている大きな円屋根のおおいが少しずつひらき出しました。ちょっとバンザイと云いたい気もちでした。万分の一吋という狂いがあっても用をなさぬというこんな建物には五十尺の地下にまで及ぶ台があると辻氏は望遠鏡の上の方へのぼって行く鉄の梯子などと一しょに説明してくれましたが、一たい天文台なんて奇妙なもので、じっと見ていると混沌とした世界をハッキリ有用にきめて行こうとする私たちの意志がかんじられ、そういうようなものを芸術上にもち来そうとする近頃の議論もうなずけるような気がするのです。
同じ空想的にしても、私はこれからの建物や部屋はこんな戦闘艦とか天文台風のかざりや暗示をもった様式にかわって行くのがほんとうだと考えられます。つまり気取った言葉で云えば、ポアンカレーなどによって力説されている所謂「切断的精神」は今後のいかなる生活上にもとり入れられねばならぬ原理であり常識であろうからです。といって今の私に払い下げの軍艦が買えようとも思えぬし、天文台風な家をたてる金がはいる気づかいもないのですから、それら様式の具体的なところについては何も考えていません。けれどももし私ならそんな軍艦や機械学的な住宅をこしらえても自分ひとりの使用にせず、クラブのような経営にしたいと思います。自分には一部屋でたくさんで、それはどうするか?私はゴタゴタした装飾はきらいなのです。花瓶や額縁さえ二十世紀も四分の三期にはいった今日においては意味がわからないとするのが至当でないでしょうか。私は自分の家の一室を改造してもよいと考えているのですが、船室のようにしたいのです。細長い箱のつきあたりに丸窓がありその下がベッド、ベッドの下が引出し、テーブルも椅子もネジで床にとめてあるなら、ドアにも引出しにも止め金がつき、かざりばかりのもの、こわれやすいもの、うごきやすいもの――そんな曖昧の何一つもない部屋の引出しにはいつも白いカラとシャツ、ドアのそとにはまたみがかれた靴があったとしたら、まあ気もちは今よりせいせいしましょう。実用とファンタジーの一致した形式などはそんな船室生活において態度をきめてから考えてもおそくはないのです。さて暑いからこんなことはきりあげて、沙良氏からの注文にあるほんとうに気まぐれな私の話にうつります。
私の考えるサンマーホールです。円天井と云っても塔のように高い、それで下は円形の部屋でやはり穹窿形の入口が四つほどあり、床のまんなかに噴水があがってまわりはサボテンとパームツリーの鉢植のしげみ、その間にはアームチェヤがちらばります。さて夜です。入口のわきにあるスイッチをひねると、噴水のまわりにちょうど土星の衛星のように立っている九つばかしの燈火がきえてまっくらやみ――と思えば頭の上にはさんらんとして涼しい星がきらめいています。即ち入れかわり天井と壁の裏側にあかりがつき、そこ一めんにあいているちいさい星型の穴をとおしてもれているので、かくは目ざめる奇異な人工のスタリイナイトを現出するのです。さしかざしたオパールをはめた指のかなたはむかし妖しき云いつたえのアンドロメダ座でも、カフスボタンにもしたいハイカラなカシオペイアのW字形でも、さてはまだ知られぬ他の天体からながめた宇宙の一角としてもよい、何にせよその下でハバナふかして目のきれいなお友だちと話をすれば、あのやさしいトライアングル入りのワルツにある、STARLIGHT LOVEそのままの境地ではないでしょうか。うっかりと自分をわすれていつしかサボテンの茂みにのぼったキネオラマのお月さまの光にあわてるか、それともお友だちの頬ならぬだしぬけな天上界からの急雨におどろかされるかどうかは、しのび足に入口に近づいたパックのひねる第二第三のスイッチによってきめられるとしておきましょう。
さて次のいささか野蛮な「緑色彗星市街」とは大きなレンガ建のなかにはめこまれた全金属製のラビリンスです。即ちそこへはいった人間の重力や動作によって次から次へ運動を起こすように出来た風車や家や橋のもりあがり、五人と一しょになって入りこむならひとりの手をかけたドアがあたまの上の家をひっくら返しそれがとなりの水道口のネジをはずし、つきあたった壁が倒れて花火のハレツと共にその上にさしかかった人をさか落としにするそのおしまいには、魔法のように入口のトラップ氏円筒という星型のジョーゴのなかへみんなをほうり出してしまいます。しかも万華鏡の原理を応用して組立てられたこんな街では同じ状態がくり返されるなど故障でも起こらぬかぎり三千年の間ドタバタさわいでいても不可能なのに、クラックスクランめいた仮面をつけた市民は、立体都市の頂点のどこかにあるさらに変幻不測な緑色のホーキ星を我手に得ようと、毎金曜日の夜には血まなこになります。そんな市民になるにはむずかしい規則があり、物好きなあそびもじつはあるおどろくべき理想の下に行われているのだとつけ加えたら、あなたはそんな街の設計者やそれがどこにあるかについてもききたいと云われるでしょうか、私のあたまのなかではなく現に神戸の街には一つあるその秘密結社についてお話したいことはたくさんもっていますが、いささかここに述べようとすることとはずれているからまたいつかの折にしたいと思います。
(後略)


『稲垣足穂全集 第1巻』筑摩書房 296?299P

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