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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

夢がしゃがんでいる

概要

(前略)
もう私が四年生であった頃でした。その時になっても三角辻のグリーンハウスは、三年前に初めて中学生になった自分が、いそいそとした新学期の通学の途中で見かけたのと、別に変りもなく立っていたのです。ちょうどその春が去って、海のかなたから紺と褐色の燕がやってくると共に、私達の制服が霜降の夏いでたちに変った日の午後のことです。
私が例の辻に差しかかると、緑色の家の前に人だかりがあるのでした。それは大旨退け時刻にあった附近の小学生でしたが、私はグリーンハウスの上に何事かが起っていることを直観しました。それを知るなり私は、足掛け四年にわたって好奇心の対象だった洋館に、そんな異常を見かけた自分は駆け付けたかと云うに、決してそうでありません。只面倒臭い気がしました。で、そのまま歩調も変えずに近付くと、ニス塗のドアが開いて、その向うに階段と帽子掛の円鏡とが見えました。にも拘らず通りすがりにちらっとその方へ首を曲げただけで、私は行き過ぎました。私のすぐ前を、日頃から注意していた下級生が歩を進めていたからです。私は学校の門を出た時から、先方の交互に踏み出されるうしろ姿のズボンの上部に、Tの字の皺が出来て、それが足の運びにつれてΓ(原本はTの左側がないもの)となり7(原本はTの右側がないもの)となるのを見ながら、あとをつけてきたのでした。今迄にもこんな機会をたびたび取り逃していたので、ひとつ今日こそは相手の家を見当づけようと、私は張り切っていました。といって、Tの変化ばかりに気を取られていたわけではありません。正直なところ、三角辻に人だかりを認めた時、その少年もそこに立ち止るだろうと思いました。そうなったら、自分は傍に立って、先方の首すじの生えぎわや、粉がふいたような頬のラインを、触れるばかりにして眺めることができようし、そればかりでなく、緑色の家をきっかけに何か話しかけてもよいことになるかも知れない。ところが手前勝手な予想は脆くも眼前にぶち壊され、少年は只人が集っているのをちょっと見返したのみで、やはり先のように、蝶の形にインキのしみがついた白い教科書の包みをかかえて通り過ぎて行ったのです。軽い失望に打たれた私は、それでも、そんな物見高いことを好まないでいる相手を、床しいことに思い直して、自分もこんどは、Tではなく、彼の恰好のいい靴のかかとの所を見守りながら、ついて行ったのでした。
推移は学校の上に、私の上に、私の友達の上にめぐりました。しかし山手通りの入口にあるグリーンハウスだけは、テニスコート脇の櫟林が切り拓かれて、そこに総煉瓦の大講堂が出来ても、苺畑であった学校のぐるりに家が建ちつんできても、市電終点から学校まで続いた一本道に線路延長が始まっても、やはり昔通りに、オートモビルがひっきりなしに行き交う三角辻の中心に、埃を浴びながら、妙にひっそりしたアトモスフィアを伴って、取残されたように、また一切から超越したかのように、立っていました。その四年生の第二学期に、「あそこにはこの都会の夢が棲んでいる」と洩したOがアメリカへ去り、「こちらには霧が多いので、夜になると水底に住んでいるような気がする」そんな文句を書いた桑港からの絵葉書が私に届いた時にも、それから早くも卒業することになった私が、式場の瓶に差してあった桃の花の印象の中に、過ぎ去った五年間の事共を結びつけて、三角辻へ来かかった時にも、小さな緑色の家は、紫ばんだ空の下に、五年間を通して見たのと変りもなく立っていました。
更に三年経過した去年の夏、少年時代を過した海港へ立帰った私が、山手の三角辻を通ってみると、もうグリーンハウスはなくなり、そこは只の芝生になっていました。三角形の石囲いに添うて、ドロップのような松葉牡丹が埃を浴びていました。それだけのことでした。なにもあの春の終りの午後に、どうして自分はここに立止って年来の疑問を釈こうとはしなかったのだろう?そんなことを思ったわけではありません。
「夢がしゃがんでいる……」
そんなことを何気なしに呟きながら、私は芝生の脇を抜けて、港の街の賑やかな方へゆるい坂を下って行きました。


『稲垣足穂全集 第1巻』筑摩書房 132?134P


(注)コンピューターシステムの都合上、該当の文字は表示できないため類似記号で表示しています

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