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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

オートマチックラリイ

概要

子供のとき僕は、機械場(原本では傍点がうたれている)や楽隊席(原本では傍点がうたれている)で暮したと云っていいほど、あのジーと白い光を放つカーボンや、フイルムをつなぐクロロホルムの匂いや、ピカピカした金具のついたクラリネットが好きであったが、十五六歳以後からふっつりそのくせがなくなった。ヴァルガアでファンタスチックなスクリーンの気分には今日とて文句はないが、その昔、アントアネットやファルマンやブレリオや、いろんな種類によって吾々を酔わした飛行機が実用向きなツラクタータイプに統一されてしまったように、活動写真もあの菊の花のゴーモン社や赤い鶏のパテエのマークがあらわれたロマンチックから次第に俗化されてしまったようだ。それもエジポロやパールホワイトやブルーバード人情劇の時代は、まだ面白かった。が、この頃の額縁負け(原本では傍点がうたれている)をしたような大映画ときたら、僕はまっぴらを表さずにはおられぬ。ウォーレスリードなどのきゃしゃな如何にもフイルムにふさわしい顔には好感がもてるが、ダグラスなんか一カイの曲芸師にすぎない気がする。そして、その俗なところがいいという意見もよく考えてみたら俗以上を出ていない。僕が芸術家として許されるのはひとりチャリーチャップリンである。二十世紀におけるこの発見についても、世人は他の似て非なるものと混同しているが、本物は只目をもつ者に確認されている。
こんなわけで、友だちでもないかぎりめったに見に行かないが、昨年の春であったか、ひょっくりとラリイシーモンを見つけた。しかし、この役者のものはあまり来ないようだから、今日まで二つしか見ていない。この間神戸へ「オズの魔法使」(笑国万歳)というのがきたので見に出かけた。僕が役者の名で出かけたのはこれが最初であるが、やはり期待にそむかぬこのコメデアンはまるでオートマチックだ。あのトリックとも現実ともつかぬ高いところヘゼンマイ仕掛のようにのぼって行って、超時空的にヒューとジャズバンドの笛のうなりと一しょにまい落ちるとき、僕のうれしさはかなしみに近い。この役者がいつも目のまわりに輪をかき、鼻柱を黒く三角形にぬっているのも大へん気に入るが、素顔の彼はまた何かコカイン常用者を想わすようなデリカシイに、リボンのようなおしゃれと、八日ネズミのすばしっこさをそなえている。ラリイは現世的なガチャガチャさわぎでしかなかったアメリカ喜劇に一つの人形的な新領土を開こうとしているのだと僕は解釈したい。そのはかないほどの上品さはロイドと比較にならず、超人情性はチャップリンよりはるかに新らしい。いつか「ラリイ以上」という評判のあるフイルムを見たが、運動はラリイよりはげしいところもあったが、俗っぽくあかぬけしていないことでまるで別物であった。ラリイ最初の長巻だというこんどの「オズの魔法使」が、脚本や撮影法としてどうだなどいう批評は、フイルムと云ったらすぐに監督や会社や世評をもち出す他には、何らの能もない雀どもに委せておく。僕は無駄も多いと見かけられるあのフイルムも、それは編輯者や読者を頭におかねばならぬ吾々の仕事のごとく、じつはラリイにとってまたやむを得ざりしことであったとしたい。一つには彼がなお開拓の余地をもっていることにもよろう。そうは云いながらも目ある人は見よ!しずかな牧場の片隅から加速的にわき起った雷火事嵐飛行機をとりまぜた大乱痴気……オズ宮殿地下室の魔法合戦における樽のお化の虚々実々……アメリカ映画にめずらしい童話でないか。偽案山子のラリイが、思う姫君をよき王子に渡すことも格別かなしまず、さらに敵にヤグラの上に追いあげられて大砲で撃たれる、――命中の間一髪にとび移ったとなりのヤグラにも砲弾があたり危くのりうつったヒコーキからさがったロープもついに切断して墜落する――と同時に、月と星の壁紙を張った子供部屋のテーブルからラリイのかたちをした人形が落ちる結末は、女と男のくっつくことでしかなかった従来にくらべ、何とすっきりしていることか。材料と仕組の如何は別に問わなくてもよかろう。それは費用と手間とをふんぱつしたら何人にだって可能である。重大なのはその筋書と意匠を完全に生かす個性――ある場合は無性格でもあろう。が、注目したのは無性格の性格である。
ともかく、活動役者の写真がほしいという心持を、僕はこんどの場合ではじめて知った。ねがわくば僕に英語が日本語の位置にあるなら、さっそく、この流行児になるか或いはそれは思うほどでないかもしれない――しかしそのことは頭に入れているようなラリイのところへかけつける。合同作品のムーンシャインコメディはすべてセットとトリックと花火応用である。その空間時間のない、些か臭素加里の匂いがする国の街と野と山に運動する人間人形によって展開される荒唐無稽が「タルホと虚空」「彗星捕獲」「二十世紀須弥山」着色のみじかいハバナタバコのファントムのようなものをこしらえ、世界映画界改新の一歩をふみ出したい――と、そんなことまで僕は、その晩ムービィ街の色電気の下をあるきながら考えていた。


『稲垣足穂全集 第1巻』筑摩書房283?285P

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