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兵庫ゆかりの文学

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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

カフェの開く途端に月が昇った

概要

2

宝塚温泉浴場の武庫川に面した明るい大広間に、大型の郵便ポスト様のものが並んでいて、ある四月の日曜日、私はその一つの前に立って、一枚の銅貨をほうり込んだことがある。小型バケツを逆にしたような覗き口に顔を押し込むと、内部に灯が点って、正面に自分の貌が映っていた。それがだんだんとガイコツに変って行くのだった。赤と緑に彩られたしゃりこうべである。「あなたの未来」と傍に書いてあった。お隣りの「あなたの過去」には、たぶん赤ん坊の貌が現われるのだろうが、この方は覗かなかった。
踵を返して、人々に揉まれながら、造花のサクラの下を歩いて、ひどくペンキとワニスの匂いがしている狭苦しい区廓に入り込むと、そこが評判の「新らしき女の部屋」であった。ピンクと白と緑とをふんだんに盛り上げたコルク板の風景画が壁に懸っていて、その下で、素焼の鉢植の西洋花と、詩集めいた数冊の小型本を前にして、非常にハイカラーな女のひとが椅子に掛けていた。彼女はみんなの視線が集中しているのにも一向平気で、私より二つ三つ年下の女の子を相手に、何事か頻りに話をしていた。相手の少女は別に緑色の袴なんか穿いていなかった。流行歌「カチューシャ可愛いや」が、「青い海なら良い景色、チャカチャカチャカチャカチャカタ」に入れ代ったのはこの年のことであったからだ。私の同級生の中でも、日曜毎の宝塚通いに打ち込んでいる者がいた。
この数年後に私は、第三回二科展覧会に出品された東郷青児の「パラソルを差せる女」の複製絵葉書を見たのである。その画は、赤、青、黄のごちゃごちゃな集りであったに拘らず、私はあの日の「新らしき女の部屋」を思い合わさずにいられなかった。「金口の露西亜煙草のけむりよりなおゆるやかに燃ゆるわが恋」というのが、北原白秋にあったが、この歌を見付けた時にも、私はあのお嬢さんを思い浮べた。彼女は竹久夢二の世界を、遥かに飛び超えていた。これと同様に、われわれの担任の臼杵東嶼先生は、「新らしき教師」に相違なかった。(私には別に、謡の先生のお嬢さんがいて、この人は自分に仕舞を教えていた。それに、この明石一番のハイカラーな女性は大の夢二ファンだったから、従って弟子の私も、竹久夢二についてはいろんなことを知っていたのである)
今東光が、関西学院普通部で三年生になった春、若い国漢の先生が赴任して来た。彼はこの「坊っちゃん」の度胸だめしをやってみようと級友を誘うと、二人で新任先生の下宿へ夜分におしかけた。坊っちゃんは春寒の晩だと言うのに、久留米絣の着流しに素足で現われ、「何しにきたか」と怒鳴るように言った。遊びに来たと答えると、「上れ!」と言う。部屋に通ると、壁にはセザンヌ、ゴッホの複製、ドストエフスキーの肖像、うず高い新刊書というわけで、こちらが度胆を抜かれた。客は絵描きになろうか、それとも小説家になろうかと思っていた矢先なので、取りあえずトルストイを持ち出し、谷崎潤一郎を挙げると、あるじはそれに対して、一々はっきりした答えをし、「カラマーゾフの兄弟」を読めと勧めるので、実は「悪霊」を読みかけて散々に悩まされている由を告げると、「いま十年経ったら少しは判るだろう」との返事である。これをきっかけに、たびたび先生を訪れ、共に元町を散歩したり、三ノ宮のパウリスタでコーヒーをおごられたりしながら、徐ろに文学開眼が進行した。
(後略)


『稲垣足穂全集 第3巻』筑摩書房 177?178P

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