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兵庫ゆかりの文学

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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

神戸三重奏

概要

1 天体画の記憶

私は「汽車」というロケットに乗って、初めて神戸三ノ宮駅に上陸した。
自分は大阪船場(北久宝寺町)の生まれだが、祖父母が明石に住んでいた関係で、たびたび神戸を通過していた。三ノ宮駅を西に向かって発車すると、間もなく右側に、巨きな白塗りの丸いカゴをてっぺんにくっつけた格子塔が近づいてくる。即ちタイムボールで、正午になると、あの玉が垂直に落ちて港内の碇泊船に時刻を知らせるのだと判ったのは、もう関西学院中学部にいた時である。この玉付きヤグラは、自分にとって「最初のオブジェモビール」であった。
タイムボールは半日旅行の道標でもあった。何故なら、奇妙な塔が見え出すと、明石はもう程近いのだから。汽車が神戸駅に停ると、駅名を書いた札が不思議に思われた、その二字は、アマテラス大神がきげんをそこねて隠れてしまった岩戸を連想させた。その「神の戸」を、何故コーべと読むのであろうか?
ついで湊川新開地、楠公社境内の水族館、背山のイカリのマーク、笠戸丸見学(これは元バルチック艦隊所属の病院船だったそうである)等々があって、いよいよ神戸市への正規の上陸は、大正三年三月、関西学院中学部へ入学願書を出しに行った日のことである。
三ノ宮駅は今日の元町駅で、あそこはちょっとした高台になっているから、当時は南口を出ると東と西へのだらだら坂になっていた。自分の神戸知識は、東は三ノ宮駅を通る南北線、西方では兵庫駅を通過する子午線どまりだったので、この不案内が東郊の関西学院めざして、阪神電車を利用させたわけである。その終点は滝道であった。電車を降りて山の方へ長い坂を登って行くと、右手に原田ノ森が迫ってきたから、母と私は「岩屋駅」に下りたことになる。自分の頭の中は、先刻三ノ宮駅を降りてすぐ目にとめた、驚くべきもののことで一杯であった。
三ノ宮駅南口の坂を東へ下った所の右側に、洋菓子店があった。入口だけの改造だったか、赤屋根付きの洋風建物だったかどうかは忘れているが、ともかくハイカラーな店であった。私が中学部二年になった春に、ある日の帰りに級友が今の店で新発売のミルクキャラメルを買って、その中の一箇を私にくれたのである。兵庫駅を出た汽車がひろびろした野に出るなり、私は車窓から首を突き出し片頬を春風に打たせながら、ポケットから小さなキャラメルを取り出してパラピン紙を剥いた。青リボンを伸べた海の手前にライジングサン石油のタンクが銀色に光っているのを眺めながら、口の中へほうりこんだ。森永キャラメルは十銭か七銭であった筈だが、まだなかなかにミルク臭い、西洋菓子の仲間であった。
――このキャンディストアの前を、母と連れ立って通り抜けながら、私は薄暗い内部の、向って右側の壁面に、美しい色刷りの広告画が懸かっているのを目にとめた。
それは、赤い円錐帽をかむり、緑色の長いガウンをつけた天文学者のおじいさんが、バルコニーに望遠鏡の三脚架を立てて、谿谷の向うの岩山の上に照っているニコニコ顔のお日様を覗いている所であった。太陽といっても、普通の画で見かける空をバックにしたそれではない。いったいお日様が、他の星や月やホウキ星に較べて、何か野暮ったらしいのは青ぞらのせいだと私は思っていた。いったん青空と雲を取りのけて、太陽を真黒な空のまんなかに置いたならば、素敵な天体に一変するだろう。そんな黒い天に出ている太陽で、そのふちはコロナの翼で飾られ、黒い地には白い横文字が数行並んでいた。
これは、針葉樹に囲まれた湖水が前景にあって、向うの瞼しい山の上に、右向きの即ち明方の三日月が出ているステットラー鉛筆の広告画と同格でないか。又、山間のお城が見える広場で、背中に吹き流しを付けた二人の騎士が、装甲馬に跨って相闘っている、カスチール鉛筆のポスターにだってあえて引けを取らない。しかもそこには天文博士と望遠鏡が参加しているのだから、三種の広告画中の随一かも知れなかった。
大正も十四年頃、東京に移っていた私は思い出して、三ノ宮駅下の洋菓子店へ、「以前、お宅の壁に懸っていた太陽の画は、何というお菓子の広告でしたか」と問い合わせの手紙を書いた。「三ノ宮駅南口洋菓子店御中」としたのであるが、勿論返事はなかった。実はその店がまだあるのかどうかも自分は知らなかった。それに、あの石版刷はたった一度見たにすぎないことにも、私は気付いたのである。
あの日、母と私は、長い坂道が上筒井の通りと交叉する所の左側にあった、「各学校御用達」の札が出ている裁縫店で、関西学院をたずねたのであるが、奥から立ち現われた若い女の人の白い丸顔が、とたんに綻びて、まあ! ということになった。それは私の姉の清水谷女学校時代の級友だったのである。(姉は自分よりも十以上の年上であった)
(後略)


『稲垣足穂全集 第11巻』筑摩書房 285?287P

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