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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

神戸漫談

概要

1 神戸というところ

伊藤貴麿氏であったか、神戸は人が考えているように面白いところではないと云ったが、そんなことを云い出したら、アムステルダムだって香港だって、その他のどこだって、いやしくも現実という名のついたところでは同じことだ。イナガキタルホのかくような神戸はないかも知れない。だが、それは神戸に於て遊離されたるもの――神戸の幻想だ。これをのぞいて芸術家の職分はどこにあるというのだろう?――よし又現実的に見たって、神戸ほどハイカラな街は日本中にはない。伊藤氏も神戸出身だというわりには、神戸の面白い方面を知らないと見える。

2 太平洋酒家

三宮にパシフィックサロンっていう支那人(?)のバーテンダーがある。日本一のマンハッタンをのますところだ、ともいうが、実際に調合になみならぬ手腕を有しているそこの主人は、又当市の紳士間で評判男である。そのうすぐらいバーの、エンピツで英語の楽書がしてある壁や、大小のウイスキーやビールのビラ画や、スタンドによりかかって金文字の出たガラスごしにむこう側のビルデングを見る気持……そんなものは云う必要ないが、正面の壁に大きな額がかかっている。墨の奔放な大きな字は御杯楽聖とあるが、そのわきに――つまり××君嘱というようなことがかいてある一ならびに、太平洋酒家という五字が見える。テキマップのグラスを唇にあてるときいつもそれが目にとまる。太平洋酒家――何と豪快なひびきではないか!東京の酒好きの友だちよ。神戸にきて我と共に太平洋酒家に於て乾盃しないかといつも云いたくなるのだ。

3 月光を吸う人

神戸のことを知っている人は、きっと三宮の東にある山の方へ一直線につづいているアスファルトの長い坂を知っているにちがいない。で、その正面には木立にかこまれてお伽話式の尖塔を出している赤い建物がある。これが神戸名物の一つであるトアホテルだ、――だからこの坂のことをみんなはトアロードと云っている。ところがこんどかえったとき、友だちになったFという人から、それはほんとうはオランダ坂というのだということをきかされた。そしてその由来というのが次のとおりなのだ
昔、といってもそこいらが今日のようにはひらけなかった頃だから、そんなにとおくはない。その坂の上の北野の森に、ひとりのオランダ人が住んでいた。それがかわった人で、人間が固形物をたべているのは間ちがっているという意見を抱いて、その固形物にかえるべき人造光線の製造に熱中を始めたというのである。そして借金はかさなる、実験には失敗をくりかえす……とどのつまりが手も足も出なくなって自殺をした。日本人である妻と一っしょに毒薬をのんで、苦しくなって表へ出てバッタリ倒れたのが、今の坂上のホテルの石垣の下のところである。冬の月のいい夜中であったが、倒れた彼はふとその月に気がついて、その方へ力一パイ呼吸をした。と、気のせいかいくらか苦痛がやわらいだようだ。で、ゴロリところぶ、ころぶと坂路だから自然と下の方へ位置がかわる。そこで又胸をひろげて月の光を吸う。と、又よくなってもう一ぺんころがる。こうして二人はとうとう長い坂の下の鉄道線路のところまでころがってきた。ところがそこに丘があったので、もうさきへは行き止りになりそのまま死んでしまったのだが、このオランダ人の屋敷はそれから長い間無人になり、夜になるとフクロウが鳴いていた。三年ほどたってロシヤの魔術家が借りて書類を発見し、やっぱりオランダ人の死は、うわさのとおり人造光線の失敗によったのだということが明らかにされた……というのである。
タルホの月は六月の夜のマリオネットの舞台にぶら下った月で、オランダ坂の月とは多少おもむきをかえているが、しかし北原白秋式のエキゾチシズムがあり、同時にロココ風の佐藤春夫気分にも合致するこのトアロードの伝説はなかなかいいものではないか?

4 アメリカンピンクの少女

東京が美少年の都としたら、神戸は美少女の都であるとは敢て僕ひとりの見解でない。アメリカンピンクの帽子、さてはセルリアンブルーの服をきた――しかもそれはこの数年来うっかりすると目の青い人とも見ちがうほどの位置にすすんだ――人の多いこと他に比を見ない。そして、誰がこれをもって低俗な文化趣味などとけなすのだろう?西洋文明は只その名目のように西洋文明ではなく、昔から吾々が達し得た最高の形式である。いずれはそこへ行くのを、その外形的方面に最も適応しやすいように発達をした西洋人によって先鞭をつけられただけの話なのだ。これを排すると否とは、汽車、電車、汽船、自動車……その他のすべてをのけてなお吾々の生活があるかどうかということにかかっている。そして僕は思う、――どんなに西洋風に変っても、やはり黒い涼しい瞳の持主にちがいないこの国の少女たちには、たとえば「我が日の本の……」とでも冠詞をつけたい新時代の高踏と優美とがかんぜられて非常にいいものではないか?――と。


『稲垣足穂全集 第12巻』筑摩書房 40?42P

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