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兵庫ゆかりの文学

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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

星を造る人

概要

(前略)
北に紫色の山々がつらなり、そこから碧い海の方へ一帯にひろがっている斜面にある都市、それはあなたがよく承知の、あなたのお兄様がいらっしゃる神戸市です。そういえばあなたはいつか汽車で通った時、山ノ手の高い所にならんでいる赤やみどりや白の家々を車窓からながめて、まるでおもちゃの街のようだ、と云ったことがありましたね。それから、あの港から旅行に出かけた折、汽船の甲板から見るその都会の夜景が、全体きらきらとまばたく燈火にイルミネートされて、それがどんなにきれいであったかについても、あなたはかつて語りました。ここで、この神戸の街で、わたしがあの魔術家のことを初めて耳にしたのは、四月の或る夜、にぎやかな元町通りのショーウインドウの前を歩いていた時でした。
「夕方、東遊園地のうすら明りの中で非常な不思議を行う紳士の話」というのをきいた時、わたしは辺りの人もはばからずに高笑いをしました。なぜっておききなさい。その紳士のステッキの先に虹色の輪ができるガスが点ったり、シルクハットの中からこうもりが飛び出して、しかもこれを追っかけて行ってつかまえると、ブリキ製のおもちゃだというのです。ねえ、こんなことは、このたび来日した空中曲馬団は人間を大砲仕掛で射ち上げて、高空で炸裂したタマの中からパラシュートを負うて人が降りてくるなどいううわさ話と同様、いやそれより、まるでおとぎばなしだというくらいはたれにだって判ります。それに相手の友人というのが変り者で、真暗な晩に電車の屋根に匍い上ってポールの先からこぼれる火花でタバコの火をつけるだの、山ノ手のどこかに、屋根裏の部屋にろうそくを三本立て紫のマスクをつけた人物が集まる赤色彗星倶楽部というのがあるとか、そんなことばかり話している男でしたから、この時もせいぜいコクテルのほろ酔いきげんに生れたかれの口先の魔術だ、とわたしは受け取ったのでした。
ところがそれから三日目の朝、開けッぱなしになった窓から吹きこむ風にまくれている枕べの朝刊に、「魔術……」という大きな活字が見えました。手に取ってひろげてみると、先夜友人からきいたこととそっくりの記事が出ているではありませんか!
近来毎夜の如く午後七時より八時の刻限において不可思議な一外国紳士が東遊園地界隈に出没し、現代科学と人智をもって測るべからざる奇怪事を演ずるとの風説が専らである。この近時稀な怪聞は最初は単なる巷説にすぎなかったが、其事実を親しく目撃したと称する者が続出して、今や轟々として全市に喧伝されるに至った……
よんでゆきましたが、なんだかこんな新聞記事までが作り事のような気がしました。といって、労働問題や軍備縮小の記事もいっしょに載っているところを見ると、やはり拠りどころがあることに相違ありません。それにまた、天文台できいた抽象的なお話や、事実にしたところでどうにもならぬ事柄ではなく、現に、毎晩、この街の一角に起っているというではありませんか?「こいつは面白い。火のない所に煙は立たぬ」わたしの心はひとりでに躍って、きゅうに夕方が待ちどおしくなってきたのでした。
やがて、海岸区の高い建物の側面を桃色に染めていた夕日の影もうすれ、街じゅうが一様に青いぼやけた景色に変ってきた時、わたしは友だちをさそって、いっしょに遊園地の方へ出向いてみました。そしてチカチカと涼しいガス燈がならんでいる明石町から、オリエンタルホテル前の芝生あたりまで、元居留地の一帯にわたって、二時間近くもうろつき廻ったのです。ところで二人は、高所に一つだけ燈火に縁取られている窓やぴったりとざされた商館の鉄の扉や、ガス燈に照らされて浮き出した立木や、暗い港の向うにある緑色の碇泊燈や、そんないつもの散歩の折に眼にとめるところと少しも変らないものを見ただけで、しかも只こんなことのために、まるで遠足に行ってきたかのように、帽子のふちや肩先に白いほこりをあびて帰ってきたのです。
南京街の入口にあるビアホールに飛びこんで、紅いランターンの下に腰をおろした時、わたしたちは、むしろこの夜の人出におどろいていました。遊園地はさておいて、ふだんなら日が暮れるとひっそりして、ぎらぎら目玉の自動車が行き交うばかりで、碇泊船の汽笛が響き渡る、がらんとした、石造館が立ちならんだ街区一帯に、歩くにもじゃまなくらい人々が集まっているのです。いくら新聞に出たとはいえ、こんなに評判になっているとは思いもかけませんでした。が、それと同時に、なぜもっと早くから気づかなかったのだろうと、それがいまさら残念に思われ、よしッ! これからひとつ毎夜出かけてこの事件の解決に当ってみようでないか?とわたしたちは生ビールの杯を重ねて相談したのでした。
(後略)

『稲垣足穂全集 第2巻』筑摩書房 32?34P

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