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兵庫ゆかりの文学

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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

バブルクンドの砂の嵐

概要

(前略)
神戸の奥平野の湊山温泉の傍らに、私の友人の住いがあった。この前を細い山径が通じていたが、山の方へ登って行くと、左側は崖下で、右は谷川である。十分間も登りつめた所に、左手に洞窟があったが、岩や石を切り取った跡でなく、どうも粘土を掘り出したあとのように受取られた。奥行は二間ぐらいあったろうか。私がその穴を指し示された時は、只のガラン洞だったが、以前にはこの孔の内部に棒グイでヤグラが組まれ、ムシロなどが垂れ下って、原始的な住いになっていたのだそうである。そこの住人は乞食だというのは中っていない。普通の乞食が、なんで自分の家が留守のまに焼かれたからと云って、憤慨の余り、「末世と云うものじゃ」と呪いのコトバを吐きながら、夜通しその界隈を歩き廻ったりするものか。隠者即ち穴居の哲学者の住いだったとしておこう。
このことによっても判る通り、哲学者が外出していたあいだに、近所の連中が火をつけて、いわゆる小うるさい、邪魔っ気な、不衛生な粘土壁の住所を焼いてしまったのである。哲学者は夜遅く帰ってきて、留守中の異変を知った。それからが怖ろしい。私の友人及びその弟は、何回もその夜の模様を私に聞かせた。その夜半、四辺が静まり返っている時刻に、家を焼かれた哲学者が、激怒して、「末世というものじゃ」をくり返しながら、自分(友人)の家の前を行ったり来たりしていたが、あんな怖いことはなかったと、兄弟は、私の前でくり返すのだった。
確かに怖かったであろうと、私にも十分に察しられた。考えてみると、われわれが現に置かれている場所は「末世」に相違ないからだ。
しかし、この世に自分の住いを持ち、自分らの街を設計したりする限りでは、いつかは見当も付かぬ何者かの手によって、我家を、我が街を焼かれねばならない。ペテルスブルグ生れで、フランスの精神医学の泰斗であり、かつベルグソン系の哲学者でもあるユージェーヌ・ミンコフスキーは、私より十五も年上であるが、彼はその著『生きられる時間』の中に、次のように書き入れている――
われわれは誰しも、「死」を大鎌を携えたガイコツとして描いている。しかし「死」でなくて何が、生にその尊厳のすべてを与え得るだろうか。「死」が欠けるなら、未来に向って行進する「生」の祭壇に献げるものを、われわれは持つであろうか。人生における一切のものが生彩を失い、灰色の、どうでもよい、任意のものになることであろう。そして人生そのものが、もはや生きるに価しなくなるだろう。
これは、われわれの行動基地であり、航空母艦でもある各自の住いの上に、又、個々の住いの集団化された都会の上に、都会及び郊外における各種の施設や組織の上に移しても、十分に云えることである。崖ぎわの哲学者の家も、壮麗なバブルクンドも、結局のところ、共に「生」の祭壇上に捧げらるべき供物でなければならない。もしもそうでなかったら、われわれにおける一切のものが生彩を失い、偶然な、任意なものになってしまうことであろう。
(後略)


『稲垣足穂全集 第11巻』筑摩書房 398?400P

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