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稲垣 足穂

いながき たるほ稲垣 足穂

  • 明治33~昭和52(1900~1977)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪

作品名

緑色の円筒

概要

(前略)
タルホ君――
吾々は今晩、月と星のファンタスティックなお話の作者であるところの君に、最も愉快な企てをお知らせしたいと思う者だ。その吾々というのが何者であり、この手紙を入れたロマンキャンドルがどうして君の許へ飛んで行ったかなどについては、いまは云いたくない。それから、或いはまずく、きれぎれに語られるかも知れないこの用件が、君のイマジネーションによって適宜におぎなわれることをも希望する。実際、事柄は君がそれにたいして下すであろういかなる想像より、もっと面白いはずだからね。
さてタルホ君。この海港の或る所に奇異な街がある。君の「一千一秒物語」式の三角や菱形の家屋がつみ重なっていて、螺旋形の道路を歩いていると、いたずら好きのほうきぼし(原本では傍点がうたれている)にオペラハットを叩き落されたり、土星の環がころがってきて足をすくったりする、と云ったら君はどう受け取るか?きっと、「なんだ、それはおれの考えをそっくり盗んだおとぎばなしじゃないか」――ところが、これは君の創作でも、今回ドイツから輸入されたフィルムでもない。といって先の彗星なり土星なりを望遠鏡でうかがうものと混同していたら、吾々はふうてん(原本では傍点がうたれている)病院の患者だが、そんな心配も無用である。すべては人工で作ったもの――だから、神戸市に存在していたって不合理ではあるまい。
なお君には、吾々が君の趣味につけこんだ冗談をほざいているのだと受け取るかも知れぬ。が、よく考えて見たまえ。君がそんな種類のファンタジーを好んでいるならば、他にも似たような人間がいないとはきめていない筈だ。いや却ってそんな読者を予想しているからこそ、君好みの話をかくのじゃないかね。そしてこう述べている吾々が君の第一の読者――であるばかりか、こちらでこそ君が真似をしているのではないかと怪しんでいるくらいの読者であると申し上げたら。――が、いまは水掛論の暇はない。吾々は、こんど神戸に経営することになった街のことを、君に知らせば事足りる。
街というのは或る大きな倉庫の中にある。十五年以前に建てられたが、少うし不便な場所にあるので、現在は使われていない。そのレンガ建四層の内部をすっかりがらん洞にして、そこに組み立てたものだ。が、出来そくねの表現派のセットや、出たらめな構成主義者の世界塔のようなものだと早合点してもらったら困る。「どんなものでもそれが芸術を目的とするかぎりは、それ相当の美学の法則によって遊離化されてあらねばならぬ」というのが吾々の信条である。だから、この街も従来の何人がよく創案できたであろうと自慢することができるほど、へんてこにも巧緻をきわめた代物であるが、それだけに、たとえばジョルジョ・ディ・キリコの「大いなる形而上学」……いや輓近傾向芸術に見出される抽象や綜合を持ってきても、吾々の街を説明するには役立たぬであろう。
「星のねずみ落し」とは、この街の玄関口にあたるタンクのことだが、この直立した円筒の底が凹んで、中心から一本のガス燈が立っている。摺鉢状の床に星形がえがかれているが、この星のアントラー(角がた)の尖端に、云いかえて円筒の下部五ケ所に馬蹄形の入口があり、この上部に壁をめぐって、THE GREEN COMET CITYの十七文字が緑色にかがやいている。吾々の街の全部がそうであるように、星の漏斗も軽金属製であるが、街はこの円筒を取り巻いて盛り上っている。むろん縦横に家屋や道路がくみ重なった不思議な貝殻のようなものである。
たとえばAから入りこむとする――とたんに鼻の先に壁が落ちる。が、そこにある窓を抜けると螺旋形の通路に出る。表面についた梯子をよじ登ると、小さな家の内部に出る。ここからどこへ行けるだろうと壁を圧したはずみに家がくるりと上下に廻転して、煙突を通して別の家の中にすべりこむ――とたん、床が外れてエスカレータに受け止められ――これが滝のように下り出したことに泡をくって、谷向うに飛び移ると、そこが風車の羽根になって廻転し、元の入口から「ねずみ落し」の上へほうり出される。……
(後略)


『稲垣足穂全集 第2巻』筑摩書房 115〜117P

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