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兵庫ゆかりの文学

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五十嵐 播水

いがらし ばんすい五十嵐 播水

  • 明治32~平成12(1899~2000)
  • ジャンル: 俳人
  • 出身:姫路

作品名

流るる月日

刊行年

1989

版元

永田書房

概要

  「六甲、摩耶」
 神戸港の背に屏風を立てたように、西は鉢伏から東は宝塚まで続いているのが六甲山脈で、六甲、摩耶はその中枢をなすものです。
 六甲山の名称は、以前は務古山(或は六児山)と呼ばれていましたが、神功皇后が六つの甲を埋められたという伝説から六甲山と呼ばれるようになったそうで、それは明治に入ってからのことです。
 この山は、もと柴刈が行くぐらいのものでありましたが、明治二十八年に英人グルームが狩猟のため初めて六甲山に登り、その地形や景色のよさに感心し、別荘を建てたのがはじまりです。彼は友人を誘っては家を建てさせ、道を作り、日本最初のゴルフ場を作り、大正七年に七十二歳で亡くなるまで六甲の開発に一生を捧げました。上高地では開祖ウエストン祭が行われるということですが、六甲山でも開祖の為めグルーム祭があってもいゝのではないかと思います。
 私が三高の学生であった頃、数人の友達と雪の降る日に六甲山を表から登り、有馬を越え宝塚へ出て少女歌劇を見、雪の京都へ夜の一時頃帰った記憶があります。大正六、七年でありました。その時と較べて六甲は夢のような変り方です。ケーブルがあり、表六甲や裏六甲ドライブウエーがあり、山上にはタクシーやバスがはしっていて、都心から一時間たらずで楽々と六甲山上に達することが出来ます。山上には幾つかのホテルがあり、個人の別荘のほか、役所や会社の寮が三百余りも出来ており、尚年々増加の傾向にあります。


  蜻蛉群れ六甲銀座店殖えし  播水

 六甲は何と言っても恰好の避暑地で、下界では炎熱に喘いでいても、山上は自然の冷房がきいています。日中の風は冷やかで夜は浴衣一枚では涼し過ぎる位です。山上から都心のオフィスへ通う重役も少なくありません。
 然し土曜から日曜にかけては、ドライブウエーを通る車は万を数えるくらいで、今山上では車のパーキングの問題で頭を悩ましているという事でありますが、この目まぐるしい変転に、地下のグルーム氏も目をぱちくりさせている事でしょう。
 ゴルフ場の外、高山植物園、六甲牧場などは六甲山として誇るに足るものです。六甲にはいろいろ花が咲きますが、紫陽花の濃い藍色は山へ登った誰もが忘れ得ぬ所であります。百万弗の夜景の美しさは今更私の言を埃つまでもありませんが、有名な香港の夜景よりはるかに優るものだと言われています。赤、黄、緑、紫、淡紅、橙等あらゆる色の宝石の輝きが展開します。その中を汽車や電車の灯が走って行きます。
 摩耶山にある※(りっしんべんに刀)利天上寺は大化二年に法道仙人が開いたものと伝えられ、摩耶夫人の像をおさめてあるので摩耶山の名が生れたということです。又摩耶夫人にあやかって安産を願う参詣者がかなりあります。この古くからの霊地には千古の巨杉が生い茂って幽邃さを保っています。大抵の人はケーブルからロープウエーにのって掬星台に行き、摩耶山の旧道を歩く人は少なくなりましたが、然し日曜などには昼尚暗く、道のべに清水の湧いているこの杉の道を歩いて天上寺へ出る人も少なくありません。ここの深い森では筒鳥が鳴いたり、又機関銃のような啄木鳥の叩く音が聞けるのもうれしいことです。

  筒鳥の鳴く摩耶の坊借りにけり  播水


『流るる月日』永田書房 P.160?163


(注)コンピューターシステムの都合上、該当の文字は表示できないため※で表示しています

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