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兵庫ゆかりの文学

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じゅういちや ぎさぶろう十一谷 義三郎

  • 明治30~昭和12(1897~1937)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:神戸市

作品名

天上記

概要

編輯子から阪神思ひ出の記を書けと迫られた。私はまだ思ひ出を語るほど老いてはゐない。明治十五年の三月に兵庫の港へ來た異人の紀行文を讀んだら、日本人は紙鳶を飛ばす幸福な國民だとある。私は百まで大空に紙鳶を飛ばして暮したい。ある人達には幼年少年の追憶が林檎の花のやうな香氣をもつて思野に浮ぶであらう。私はさうでない。私の父は神戸で病を得て阪神沿線で亡くなつた。父の骨を海の近い山の脊に埋めて十八年になる。十八年の間母と私とは痩せて來た。海港の思ひ出は父のそれと共に苦酸い。
汽車が?戸へ這入つたら、沿線の二階家を注意してごらんなさい。だぶるべつどと花束と、お定まりの二人の姿が旅客の眼へも通つて來ると私に告げた人がある。前掲の異人は、船からあがつて先づ錢湯へ行つたら、男女混浴で、一糸もつけぬ妙麗の婦人が自分達の側へ來て、ぢつと顔を見上げたので遁げ出したと書いてゐる。私の通つてゐた中學校では、お晝になると、崖下の貧民窟から殘飯を燒く匂ひが登つて來て、?聖な教場の室氣を一層?聖にしたものだ。故郷忘じ難しと云ふ。いつまでも鼻に來さうで困る。
私は今年やつと骨組みの出來上る齢に達した。私はこれから一生大空に向つて紙鳶を飛ばすやうな氣持ちで過したいと思つてゐる。幼年少年と故郷への追想は、私の胸を重くする。私は故郷の市民諸君が算盤を措いて『たこたこあがれ、てんまであがれ!』と云つた風に合唱してくれたらと思つてゐる。

「辻馬車」1926年3月号 42P?43P

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