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阿久 悠

あく ゆう阿久 悠

  • 昭和12~平成19(1937~2007)
  • ジャンル: 作詞家・作家
  • 出身:淡路島

作品名

淡路島

概要

瀬戸内海最大の島である淡路島は、兵庫県に属し、一市二郡からなる。洲本市と津名郡、三原郡である。
北に明石海峡、南に鳴門海峡、東は大阪湾で、そして、西は瀬戸内海につづく。島であるから、当然周囲は海であるが、一口に海といっても、東西南北それぞれで、趣をまったく異にしている。
明石から連絡船に乗って二十五分で淡路の北端の岩屋に着く。この間ちょうど真ん中の十分間ぐらい、いかなる晴天、無風のときも、連絡船はかなりのゆれを示す。はげしい潮流のせいだといい、また、その底流は謎であるといわれている。しかし、晴れた日に、須磨、舞子あたりからのぞむ明石海峡と淡路島北端は、なぜか都会との調和という感じで美しい。島につきものの文明との隔絶の感じはここにはなく、悠々と海峡を往来する船も大型船が多い。海の色は、両岸側がやや暗いメタル・グレーで、中央、潮流のはげしいあたりが帯状にリアル・ブルーである。ここには名物の明石鯛が棲息し、時々、浮袋の調整を誤った鯛が溺れて浮かんでいることがあるという。岩屋港にはいると、小舟で蛸壷にはいった蛸を売りにきて名物になっていたが、今あるかどうかは知らない。これが北の海である。
南の海は、東南が紀淡海峡に面し、灘の水仙郷などが有名であり、西南は、四国と相対する鳴門海峡である。渦潮で有名なこの海には無数の小島が散在していて海鳥が群れている。突端の門崎あたりから見ると、マリンブルーの海のなかを白く泡立てて流れる川のような帯があり、これが渦を巻くのである。春先には、とくに潮流の落差がはげしく、轟々と音立てて流れ落ちる滝のようになるという。明石海峡と同様に鯛が名物であるが、ここの鯛は渦潮にもまれ、岩に当たり、頭に固い凸凹があるといわれる。
さて、淡路島の主要道路が通る東の海は、大阪湾のはずれにあり、四季おだやか、ただし北の明石海峡よりもっと都会の雰囲気がしている。この島唯一の都市洲本があるため、大型フェリーボート、水中翼船などの文明の影が、ややくすんだ色の海を彩っている。
これにくらべ、西海岸の海は、その町並と同様に素朴である。夏はまぎれもなく、輝やくような瀬戸の海で、夕日の時間はとりわけ美しく、小豆島が紫色に見える。それにくらべて、冬はまったく姿を変え、北西の季節風を受けて、外海のように荒れ狂うのである。冬の西の海は、季節の間中海鳴りがきこえているのだ。
島は一周約三百キロ。車で走って五時間。このあたりでもやや過疎の感じは免れないが、豊かなくらし向きがうかがえる家が点在している。
自然の風景のほか、とりたてて観るものもないが、三原町市に、淡路人形芝居の伝統の灯がかすかに灯されているという。ぼくの子どものころには、どの町のどの部落ででも、人形芝居が楽しまれていたが、いまや、その面影もないということだ。
この淡路島でぼくは生まれ、島内を転々として、洲本高校を卒業した。そのときまで十七年間、淡路でくらしたことになるが、その後、たずねる人もいなくなり一度も帰っていなかった。そして、つい最近、十八年ぶりに訪れ、忘れかけていた風景に色がよみがえってきているところである。
淡路島は、ぼくにとって、やはり故郷なのだろうか。だとすると、故郷とはいったいどういうものなのだろうか。心の中のどんな部分を占めているのであろうか。なぜか考えているこのごろである。

『日本随筆紀行第19巻 神戸/兵庫 ふり向けば港の灯り』1987年4月10日 作品社  192?194P

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