うえだ びん上田 敏
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明治7~大正5
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ジャンル:
評論家・詩人・外国文学研究家
- 出身:東京都
PROFILE
明治7年(1874)東京生まれ。別号柳村、微幽子、芸苑子。第一高等中学校を経て明治27年(1894)9月東京帝大文科大学英文科に入学。「帝国文学」発刊の発起人の一人として名を連ねた。明治30年(1897)7月大学卒業後、東京高等師範学校英語科講師となり、明治36年(1903)4月には夏目漱石らとともに東大英文科の講師となる。明治40年(1907)には私費でアメリカ、ヨーロッパに外遊し、その途中、文部省留学生を命じられた。のち、新設された京都帝国大学講師となり、京都に住んだ。大正5年(1916)尿毒症により逝去。ヨーロッパの近代文学を日本に多数紹介した功績は大きく、明治38年(1905)10月に発表した訳詩集「海潮音」は日本の詩壇に象徴詩の発生を促し、大きな影響を与えた。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1874 | 0 | 上田絅二の長男として東京築地に生まれる |
1880 | 6 | 小学校に入学 |
1881 | 7 | 父の転任に伴い、静岡に移住 |
1887 | 13 | 父の転任により東京に帰住。神田の私立東京英語学校に入学。 |
1889 | 15 | 第一高等中学校に合格するが父の死に遭って入学できず |
1890 | 16 | 東京英語学校卒業。改めて第一高等中学校に入学 |
1894 | 20 | 第一高等中学校卒業。東京帝国大学英文科に入学。11月に雑誌「帝国文学」発刊の議に連座。発起人の一人として名を連ねる。 |
1897 | 23 | 東京帝国大学卒業。東京高等師範学校英語科教師を嘱託された。 |
1899 | 25 | 最初の著作集「耶蘇」刊行。東京師範学校教授になり、斉藤悦子と結婚。 |
1903 | 29 | ラフカディオ=ハーン(小泉八雲)の後を受け、夏目漱石らとともに東大英文科の講師となる |
1905 | 31 | 訳詩集「海潮音」発表 |
1907 | 33 | 私費でアメリカ、ヨーロッパ諸国を外遊。文部省留学生を命じられた。 |
1908 | 34 | ヨーロッパ外遊から帰国。京都帝国大学講師として出講。のち教授となり、京都に住む。 |
1910 | 36 | 小説「うずまき」発表。また、文学博士の学位を授与される。 |
1911 | 37 | 文芸委員会委員を命ぜられる |
1916 | 42 | 尿毒症により逝去 |
- 逝去地
- 東京都
- 兵庫県との関係
- 訪問 舞台 神戸「畿内行脚」
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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最近海外文学 | 1901 | 文友館 | |
みをつくし | 1901 | 文友館 | |
文藝論集 | 1901 | 春陽堂 | |
詩聖ダンテ | 1901 | 金港堂 | |
海潮音 | 1905 | 本郷書院 | |
文藝講話 | 1907 | 金尾文淵堂 | |
うづまき | 1910 | 大倉書店 | |
独語と対話 | 1915 | 弘学館 | |
ダンテ『神曲』上田敏未定稿 | 1918 | 星野敬一 | |
牧羊神 上田敏遺稿 | 1920 | 金尾文淵堂 | |
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