PROFILE
兵庫県神戸市に居住。兵庫県ゆかりの作品に『秋の瞳』がある。明治31年(1898)、父・八木藤三郎、母・ツタの次男として生まれる。小学校高等科卒業後、鎌倉師範から東京高師へと進むこととなる。21歳のときに駒込基督会で洗礼を受ける。大正10年(1921)、兵庫県御影師範の英語教師として赴任。翌11年に島田とみと結婚。このころより詩作に専念するようになる。大正14年(1925)、千葉県立東葛飾中学に転任するも翌15年に結核第二期と診断され、入院生活を余儀なくされる。この年、処女詩集『秋の瞳』を刊行。茅ヶ崎で1年余の闘病生活を続け、昭和2年(1927)10月、死去。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1898 | 0 | 2月9日、東京府南多摩郡(現・東京都町田市)に父・八木藤三郎、母・ツタの次男として生まれる。 |
1904 | 6 | 尋常小学校大戸学校に入学。 |
1908 | 10 | 神奈川県津久井郡川尻村尋常小学校へ通う。 |
1910 | 12 | 川尻村尋常小学校高等科へ進む。 |
1912 | 14 | 神奈川県師範学校予科に入学。 |
1917 | 19 | 東京高等師範学校文科第三部英語科に入学。寮生活に入る。 |
1919 | 21 | 駒込基督会の富永徳磨牧師により洗礼を受ける。スペイン風邪に罹り重症。 |
1920 | 22 | 2ヶ月余の入院生活ののち退院、自宅へ戻り療養。 |
1921 | 23 | 東京高等師範学校を卒業、兵庫県御影師範学校教諭兼指導に任ぜられる。 |
1922 | 24 | 島田とみと結婚。詩と信仰に打ち込み、油絵を描く生活が始まる。キーツの詩を読み始める。 |
1923 | 25 | 長女桃子誕生。キーツの詩を翻訳。 |
1924 | 26 | キーツの研究が本格化。長男・陽二誕生。 |
1925 | 27 | 千葉県立東葛飾中学校に転任。詩集『秋の瞳』刊行。佐藤惣之助主宰の「詩之家」同人となる。 |
1926 | 28 | 結核に罹り、茅ヶ崎の病院に入院。東葛飾中学校休職扱いとなる。 |
1927 | 29 | 東葛飾中学校を依願退職。10月26日、29歳で死去。 |
- 逝去地
- 千葉県
- 兵庫県との関係
- 居住(神戸市)
代表作品
関連情報
場所 | 説明 | 内容 |
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神戸市東灘区御影中町5 | 詩碑 | ゆう焼をあび 手をふり 手をふり 胸にはちいさい夢をとぼし 手をにぎりあわせてふりながら このゆうやけをあびていたいよ |
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